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7年ぶりに会った父はやっぱり老けていた

19歳の頃、本当に父が大嫌いだった。

嫌いだったからこそ影響も大きく、反面教師として自分はその反対の人間になろうと強く誓ったほどだった。

僕が13歳の頃に両親が離婚し、その後も定期的に父とは会っていた。
近況報告をするなかで、父は毎回僕の消極的な部分に口を出してきた。

「そんなんな、とりあえずやってみたらええねん」

この言葉を聞くたびに、本当にうんざりした。

とりあえず行動するタイプと父と、あれこれ考えてあまり行動が出来ない僕とでは相性は合うはずもなかった。

そんな苛立ちを抱えたまま19歳の秋。
僕はとうとう爆発した。

この日も案の定、クヨクヨ悩む僕に父は苛立ちを隠さず「やってみんと分からんのやから、とりあえずしたらええやん」の呪文を唱え始めた。
その辺りから僕は話はあまり聞かず、悩みを頭ごなしに否定されるこの人に何を言っても無駄だという気持ちが支配していた。

いつも行く焼肉屋に着き、その日は特に忙しいようだった。
注文をしても届くのが遅かったり、頼んでないのが来たりとサービスの質は正直あまり良くなかった。

それに怒った父は間違えて運んできた店員に怒鳴った。
そしてその店員は僕のクラスメイトでもあった。

この日を境に僕は父からのLINEにあまり返事をしなくなり、それに気付いた父からも連絡が来ることはなくなった。

それから7年間経った先週、突然父からLINEが来た。

「ご無沙汰してます。元気にすごしてますか?」

父側の祖父と仲の良かった僕は祖父を通して父の話をよく聞いており、また父にも僕の話を祖父はしていたそうだった。

祖父が仲介役となり、時間を掛けてゆっくりと父と僕のわだかまりを解いてくれた。

そんなことがあっての連絡ということもあり、連絡が来たことは驚きもあったがとうとうこのときが来たかという感じでもあった。

「はい、元気にすごしています。」

そう返して始まった連絡からご飯に行くことになった。

父との7年ぶりのご飯。

正直、緊張が止まらなかった。
会ったら何を話せばいいのか、どういうテンションで話すのか、それはまるで好きな人との初デートのようなシュミレーションだった。

そして迎えた当日。

予約してある店まで向かう足がついなぜか早足になった。
それと共に早くなる鼓動。
それが早足によるものなのか、緊張によるものなのか分からなかったが、どこかふわふわしていたこともあるから恐らく緊張だろう。

10分ほど歩き店に着いた。

案内された席にはまだ父の姿はなく、僕が席に座ってすぐ入り口の扉から父の声がした。

その声に自分の身体が少し力が入ったのがわかった。

「おう、久しぶり」

7年分、歳を重ねた父がいた。
久々に会った父には少し白髪が生えていた。

僕は顔を合わせるのが恥ずかしく、少し顔を見たらメニュー表の方に逃げた。

注文もそこそこに父が「今日はとりあえず謝りたかった、本当にすまん」と言った。

元々のタイプが違うことの分かり合えなさ、頭ごなしに否定され大人が正しいと主張すること、クラスメイトに怒鳴ったあの日。

父はどれに謝ったが分からないが、7年という月日は怒りというパワーが続かないことを感じさせた。

そして「今日はもう腹を割って話そう」と言い、僕は本当に腹の底から思ってることを全て話した。

そこからは思っていたより明るいテンションで話は進み、その中で僕は何度も父の嫌いなとこを言った。

父は笑いながらそれを聞き、僕もそれにつられて笑った。

「ほんま変わったな」とふと父がつぶやいた。

7年前あれだけ分かり合えなかった父とは、今では分かり合えるようになっていた。
そしてそれは恐らく僕の変化によるものがとても大きい。

何をするにも消極的でネガティブだったのが、ある時を境に変わり、とても前向きになることが出来た。

それを父も感じていて「自信がみなぎってるな」とまで言っていた。

話は思いのほか弾み、気付けば4時間も話し込んでいた。

やっぱり最後まで顔をちゃんと見ることは出来なかったが、父のことを「父ちゃん」と呼んでいた僕は一度だけまた「父ちゃん」と言えて素直に嬉しかった。

次はゴルフを行く約束をした。

きっとまたすぐ会うだろう。

父ちゃん、ありがとう。

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