A型の僕が自分に絶望するのはとても簡単だった

僕が記憶する限り、初めて自分にちゃんと絶望したのは小学2年生の頃の図工の授業だった。

紙を折ったり切ったりして何かを作る。そんな授業だった気がする。紙を半分に折る。点線の上をハサミで切る。そんな簡単なことが出来なかった。

紙を折ってもちょっと紙がはみ出るし、点線をうえを切ってるつもりでも点線はなくならなかった。

トドメは指定されたところだけを塗るのりで、必ず少しはみ出て、しっかり自分の手にも付いてべたべたになる。

僕のそんな状況をよそに周りがそつなくこなすところを見て、しっかり自分に絶望した。
おまけに絵も下手だった。

図工の成績はいつだって「がんばろう」だった。がんばったのに。

やがて時は経て、中学の美術のテスト。
自分の手を描くと言うお題で、僕はクラスで1番下手という不名誉な賞を貰った。ちなみにこの時、美術係だった。そしてバクマン。に憧れて漫画家になろうとしていた頃でもあった。もちろん原作担当で。

描こうとしても頭の中にある完成図がいつだってぼやけている。見えるものをそのまま描いたつもりでも、見えないものが紙のなかにはあった。

悔しさは一切なかった。恥ずかしかった。

どうして普通に描けないんだろう。ただあるものを描くだけなのになぜ出来ないんだろう。

歳を重ねるごとに「描く」ことはなくなっていった。恥部をさらけ出すこともなくなった。

そしていま「描く」ことはなくなったけど、「書く」ことはすごく増えた。

書くのは楽しい。書きたいという衝動に駆られ、書かないと溢れ出してしまうことも多くなった。

でも「描きたい」とは思わない。

恐らく書くことにエネルギーを全部持っていかれたんだろうと思う。いや、思い込もうとしている。

夢から覚めてすぐにメモ書きした言葉がある。

あとからそれを見返したとき意味がわからなさすぎて思わず笑った。

その言葉で締めくくろうと思う。

寝かせてゴンザレス

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