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自分の原点。。

今日は!士載です!

今日は、自分がケースワーカーになろうと
した原点を振り返ってみようと想います。。

私は、子供の頃から、身体が弱かったです。。

だから、周囲から、
「強くあって欲しい!」と想われるコトが多く、
その気持ちを汲むように、中学・高校は、
「運動部の部活」をやろうと想っていました。。

また、「運動音痴コンプレックス」を克服したい
っという想いも、人一倍、強かったです。。
(後に、難病の影響で、「運動音痴」のように
観えていただけだと分かりましたが、、、)

中学・高校とソフトテニスを続け、、
個人で県ベスト16入り、
団体で北信越大会出場という成績を残しました。。

けれど、その中で、高2のとき、、
「現役で国公立大学に受からなかった場合、
高卒で働いてもらう」と両親に宣告されて
しまいます。。

中学・高校で部活に打ち込んだけれども、
それによって、「運動音痴コンプレックス」は
克服したように想えたケド、「その宣告」は
自分にとっては、大変なコトでした。。

何故かと言えば、、
「自分の本当の想い」としては、
「学問」の方が好きだったから。。

「大学へ行けないコト」の方が、
自分にとっては重大事でした。。

自分は理系に進んでいたので、
「国公立大学で理系で残り8か月で、
受かる大学(なるべくお金のかからない大学)」っと
いうコトで、ピックアップしたのが、
富山県立大学でした。。

高2の冬に高校へ県立大学のPRのために
講演に来られた先生の講演内容を聴いても、
校風としても良さそうな大学だ!という
確信を持てたので、、
公募制の推薦枠で私立理系大学を
滑り止めとして受かって、
後は、県立大学に賭けました。。
(前期日程も後期日程も県立大学にしたので。。)

無事、県立大学に受かりましたが、、
「絶対、大学院まで行こう!」と
(当時は、まだ偏差値という魔物に
惑わされていたので、、)
大学1年の前期まで、
8か月+6か月、物凄く負荷の高い状態が
続きました。。

過労で倒れて、入院するはめになりましたが、、
そのとき、気になったのが「ケースワーカー」と
いう職種のヒトでした。。
(当時の自分の想いとしては、
「何でもイイから学問がしたい!」という
意識しかなく、「将来の目標」は具体的に
ありませんでした。。)

当時のケースワーカーさんの役割は、
「ケースワーカー兼カウンセラー」のような
役回りでした。。

「どうやったらなれるか分からないけれど、
ケースワーカーになりたい!」

やっと、「人生の目標」ができました。。

それから、紆余曲折ありましたが、、
介護福祉士養成校を経由して、
社会福祉士+精神保健福祉士の資格を
取得しました。。

自分の想いとしては、、
理想のカタチは、飽くまで、
「ケースワーカー兼カウンセラー」です。。

(「カウンセラー」と「ソーシャルワーカー」の
境界に厳密な線を引いて、役割分担をする考え方も
ありますし、、それを否定するつもりもありません。。)

けれど、「自分の原点」は前記のような感じなので、
「カウンセリング」も「福祉」も
「学びの対象」であるコトは変わっていません。。

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