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手紙(1)「落語家転身」の記事について

昨日はありがとうございました。以下は読み流しでお願いします。

さっき(注:日曜の午後)ABEMAに東生亭世楽師匠が出ていました。「落語をやるなと言ってない。名前を売るとか言ってるので迷惑だと言ってる。そんなことされたら、そこら中に"東笑亭"が溢れかえる」だそうです。
ごもっともです。
まあ、亭号売るなんてのは、どうも昔からあるビジネスのようですね。

もちろん、本当のことはわかりませんが、元・暴露系ユーチューバーの彼が考える「落語家という肩書」ってのは「ネットで効率的に集めた注目を効率的に換金して大儲け」するための「道具」でしかないのではないでしょうか。なんだかそんなふうに見えます。
だから弟子入りもしない、勝手に落語家と名乗り、名前を販売する。オンラインサロンを開く。

落語でもなんでも維持発展させるにはカネが必要で、効率的な収益確保はもちろん大事なことです。
だけど、手段と目的が入れ替わって、効率的に儲けることだけが目的化して暴走すると、倫理は壊れ、文化も壊れます。最近のソーシャルメディアを見ていて感じることです。インプレゾンビや詐欺広告を許容してしまうプラットフォームの無責任さは、もはや目に余ります。

元・暴露系ユーチューバーが「落語をやりたい」ではなく「落語家になる」と言ったその時点で、最大限の警戒をしないといけない、そんな気がしています。

舞台装置などの設備にあまりお金がかからないライブエンターテイメントである落語は、ときに「効率的に稼げる商売」にもなります。人気落語家が大ホールに出るときに限られますけどね。それだって効率は目的じゃない。

結局のところ「効率を目的としない」それが落語の存在価値だと思っています。なくてもなくてもいいもの。

こんな効率的利益追求ばかりが幅を利かす世の中に、ほんのわずかでも落語をばらまきたい。そのためには、小さいながらもやれる限りの効率化を惜しまない。これが僕が主宰する『シェアする落語』の仕掛けです。裏では、ネットを使っていろんなことをやってます。僕自身が客前に出るのも、ある意味「効率化」のためです。
ただまあ、アマチュアの個人でやることには思い切り限界があって、いつまで続くかもわかりませんけどね。

それにしても「小銭を集め大儲けすることしか考えていない人」が「落語家になる」と言った、そんなニュースに対して「落語が広まるから、いいこと」と反応するのは、あまりにも呑気じゃないですかね。

長くなっちゃいました。すみません。

というわけでまたやります。今回も素敵な方にご出演をお願いしています。いい落語をお届けできると思います。
よかったら、ぜひ、来てください。

https://rakugo.blog.jp/36ponta

ではまた。






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