体育の時間にメガネが壊れた話_閑話休題
今日の思い出話はタイトルにある通り。
すごく簡単にいうと、中学生の頃に体育のバレーボールの授業中、斜め上からバスケットボールが飛んできて、メガネの柄に当たり、メガネが吹っ飛び、吹っ飛ぶはおろかぶっ壊れてしまったという話。
メガネの状況をお伝えしておくと(どういう枕詞!)左目は無事なんだけど、右目は完全に割れてしまってレンズがフレームから外れている状態。メガネのレンズって結構丈夫で簡単には割れないとこの時学んだ。
その体育の授業は2時間目とか3時間目だったから、その後の授業は(冗談ではなく本当に)ずっとウインクした状態で、片目で授業を受けた。しかもその時の席が割と後ろの方で、結構不便だったし、右手は鉛筆、左手はメガネを固定するという感じで、あるいは鉛筆とレンズを交互に持ち替えながら、授業を受けていた。今も当時も、これは鉄板ネタのように話せる笑い話。
ただ、クラス経営的にはというか、授業を持っている先生からすると、結構大事件だということも今ならわかる。
冷静に考えてみると、いろいろ問題があって
一つはバレーボールの授業中なのにバスケットボールが飛んできたということ。
もう一つは、上から飛んできたから、例の体育館にある上の通路(ギャラリー?キャットウォーク?)に授業中に生徒が上がっていたということ。
まあ、公立中学校だし全然普通の光景なんだけど、授業にちゃんと参加していない生徒がいたということは、まあ一応問題。
そして、メガネが壊れているということ(物損)。もっと言うと、幸い僕の顔に傷はなかったけれど、例えばメガネのレンズが割れてガラス破片が顔に当たるとか、目に入って場合によっては失明をするという可能性だったわけだし、もしメガネのレンズが割れないにしても、柄が折れたときの破片とか傷が折れた分で顔に怪我をするということだってあり得る。
今回は、たまたまそういうことはなかったけれど、大きな怪我や大きな事故になっていたかもしれない話ではある。
当時、ボールが当たってすぐ、状況を理解した体育の先生が授業を止めて全員を集合させて、状況の共有と犯人探し。結局犯人はわからぬまま、だけど全体でたくさん諭されて授業は終わった。
大袈裟な表現をすれば、未だにその犯人は現れていないわけだけど、まあそんなことはどうだって良い。言い出せない気持ちなんて、痛いほどわかる。
でも今大人になって、やってしまった側にたったときに、(僕が怪我をしていないという前提で)あそこで手を挙げて怒られて、たとえば弁償とかして謝って、そうすればそのときに心はたぶん片付けられたろうにな、と思う。
言い出せなかった時のほうが、絶対に記憶に残るし、しばらくはことあるごとに思い出すだろうし、辛かったと思う。まあそれはそれで、本人の成長にはなるだろうけど。
さて、お金の話をすると
これ授業中の事故だから保険が下りるかも!という話になった。
で、その体育の先生が色々調べてくれたのだけど、メガネが壊れただけだし本人は怪我をしていないので保障対象外だった。
もしかすると犯人が名乗り出てくれていれば、その子の賠償責任的な感じで、クラスメイトのメガネを壊してしまったということでお金が出たかもしれないんだけど、
まあとにかく、今回の事例では学校の保険・保障の範囲内ではなかった。
そこまでを担任でもない体育の先生が全部調べてくれたことにも大感謝なのだけど、
これはどう考えても、 僕の監督責任問題だからと、
保険でおりないはら、責任をもって新しいメガネ代は払わせてほしいと申し出てくださった。
結局、うちの親はその先生の誠実さに感動しつつ「その気持ちだけで十分です」とお伝えをして、息子に新しい息子を買い与えてくれた。
なんか普通に学校生活を送っていれば起こりうることだからそんなそこまで…とも思うけど、
筋を通すとか責任を持つとか、どれだけ腹を括って仕事ができているのかということとか、
当時もすごい大人がいるんだなと思ったけど、あれから15年くらい経って思い返すと
あのときの先生の事が起こったときの生徒を集めたときの振る舞いととか、その後の関わってくれ方とか、それ自体が学ぶべき教材だったのだと思い知らされる。
やんちゃな子たちも多い中、距離感をうまく測りながら授業をされていたとは思うんだけど、
その中でも起こってしまったことに対して、
あるいは一歩間違えれば大きな事故につながったかもしれないということに対しては、
関係なくきちんと生徒に伝えて叱り、諭していたと思う。
そういえばその先生は柔道が専門だった。
多感でかつド素人ばかりの中学体育なのに、その先生の柔道の授業は、絶対に怪我が起きない。それくらい、いろんなことにきちんと線を引いていた先生だったわけだけど、
そんなことを今ふと思い出して頭の中を巡らせたときに、そういう心の持ち方というか、 仕事への向き合い方がの凄みに圧倒される。
果たして、自分はどういうふうに社会との接点を持って生きているのだろうか。
仕事を通して関わる人(たとえば大学生、たとえば役者さん)との向き合い方にこういう経験はちゃんと生きているのだろうかということをなんとなく振り返ってみたりした日。
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