今更ながら考えてみた、友だちのこと
近いうちにごはん食べようね、などと互いに言い合っていても、具体的な連絡を取り合わないまま実現しない、ということはよくある。
あれは結婚して間もない頃のこと。それまで一緒に何度も飲みに行き、旅を共にしてきた友人3人を新居へ招待した。たくさん料理をつくり、たっぷり飲んで、おしゃべりにも花が咲き、あぁ楽しかったねと、みんなが帰り支度を始めたとき。ひとりの友人が放った言葉に、あれ?と違和感を覚えた。
「まだバタバタしているだろうから、落ち着いたら連絡して」
この違和感の元はなんだろう? と考えていて、ハッと気づいたのだ。彼女たちとの約束を取りまとめるのは、いつも自分だったな、と。
そろそろごはんに行かない? と切り出すのも、全員の予定をすり合わせ、店を決めて予約をするのも、飛行機の時間や値段を確認したり、予算内でできるだけ快適なホテルを検索しまくるのも、現地でどこを見て何を食べるかプランを立てるのも。考えて提案するのは、いつも私だった。
もちろん私自身、そういう作業が好きだから率先してやっていたところもあるけれど、みんなにとっての私は、便利なツアコンだったのかもしれないな、と思ったら、彼女の帰り際のその一言が、「どこかへ行きたいなら自分から連絡して」と変換されて、なんだかとても落ち込んだし、悲しくなったのだ。
もし、このまま自分から連絡をしないでいたら、果たして彼女たちのほうから「元気?どうしてる?」の一言でも言ってきてくれるのだろうか?
ちょっと勇気のいることだったけれど、その日から一切、自分から連絡しないでいたら、なんと誰からも連絡がないまま、8年! が経ってしまった。風の噂では、結婚したら連絡もよこさなくなったとか、変わってしまったとか、そんなことを言われているらしい。
きっともう、会うことはないような気がするけれど、それでいいと思っている。最初の数年は、やっぱり連絡しようかなと何度もメールを送りかけたけれど、そのうちなんとも思わなくなった。それだけの関係だったってことだ。
つい先日は、だいぶ歳の離れた(向こうが上)友人とこんなことがあった。
以前は仕事での絡みもあってプライベートでも頻繁に会っていたけれど、ここ数年は誕生日にメッセージを送るくらい。そこで必ず、久しぶりにごはん食べよう!という話になるのに、落ち着いたら連絡するねと言われて、素直に待っているとまた1年経ってしまうパターンが続いている。
数日前の彼女の誕生日には少し踏み込んで、おめでとう、ありがとうのメールを往復したあと、具体的に約束を取り付けようとさらにメールを送ってみたが返信がない。かれこれ20数年の付き合いで、私も老眼と更年期に苦しむおばちゃんになった。でも彼女のなかでの私は、29歳のまま更新されていないんだろうなあ。毎晩のように飲み歩き、懐いていた私のままだから、”変わってしまった”と思われてしまうのだろう。
1年ぶりに書くnoteなのに、なんだか暗い話だなー。
もやもやして、寂しくて、ちょっと吐き出したくなってしまった。なんだか友だちが少なくて人付き合いの悪い人みたいだけれど、そんなことはないのです。
くだらない話題でいつまでも大笑いしたり、困ったことやつらいこと、嬉しいことも共有できる大切な友人たちもいる。独身時代も結婚してからも態度が変わらず、損得関係なく、こちらの生活環境が変化しても、頻繁に会えなくても、歳をとっても、シカノはこうだ、こうだったのにと決めつけることなく、ちゃんといまの私を認めてくれる。互いに関係をアップデートしあえる友人。彼女たちがいてくれるだけで心強いし、心地よいし、とても幸せだ。
50代の前半。人間関係を含め身の回りのいろいろなことを、徐々にすっきりさせていく時期に差しかかってきたのかなぁと思う。誰とでも、面識のない人とでも、簡単につながることができてしまう時代だけれど、本当に大切なもの、こと、ひとは、そんなにたくさんはいらない。こぼすことなく、両手に収まるくらいがちょうどいいのかもしれない。
写真はお正月を過ごした奄美群島の加計呂麻島、諸鈍長浜の夕焼け。
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