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これからの人生が変わった日

ライターの仕事とは離れ、日常のいろんなことを綴っていこうと始めたこのnoteなのに、結局ほとんど書けていない。やっぱり締切が設定されないと書けない性分なんだろうか。

いま私は、都心の大きな病院内のカフェでこれを書いている。さっき腕に注射を打った。放射性物質を含んだその薬が全身の骨へくまなく行き渡るまでに、約3時間もかかるそうだ。あとで全身の骨骨ロック(昭和!)みたいな画像を撮るのだが、悪い部分にはその物質が集まって見えるのだそう。それを終えたらもう1つ検査が待っていて、そちらは朝から絶食しなければならない。お腹ペコペコの昼どきなのに、水とアイスティーだけでなんとか凌いでいるところ。

この1ヶ月ですでに何回、この病院に来たんだろう。毎週のようにいろんな検査を受けていて、今週も昨日と今日の2日連続だ。幸いというかなんというか、○○科受付なんて表示がなければ、まるでホテルのような快適空間。カフェがたとえ満席でも、至るところにゆったり座れる椅子やソファがある。大きな窓からは光がたっぷりと差し込むし、強力なフリーWi-Fiまで提供してくれている。自分が病人だということをうっかり忘れてしまいそうだ。

そう、私の体に病気が見つかってしまった。それも、なかなか重たいやつが。

数ヶ月前から自覚症状はあったのだが、もしかしたらこれからの人生がガラッと変わるかもしれないと想像すると、怖くて受診する勇気がなかなか持てなかった。意を決して近所のクリニックへ行ったのは6月半ば。その日のうちに細胞を採って組織検査へ出すところまで進んだ。先生は何も言わなかったけれど、きっとその時点で確信していたんだろうなぁ、と今は思う。

その日から検査結果を聞きに行くまでの2週間は、本当にしんどかった。打ち合わせ中も、取材現場でも、原稿を書きながらも心ここにあらずで、常に心臓がどきどきと波打っている感じ。堪えきれずに突然、わんわんと泣き出したりもした。
2週間後のクリニックでは、予想通りの良くない結果が待っていた。打ちひしがれる間もなく、この先の治療を進めるにあたり、4つの大きな病院が候補にあがり、それぞれの特徴などの説明を受ける。
意外と冷静に聞けたが、帰り道のことは、あまりよく覚えていない。ただ、まっすぐ帰宅したくなかった。とりあえずコーヒーを飲んで落ち着こう。でも、たまに行く店で顔見知りの店主と世間話をする気持ちの余裕はなかった。普段は行かない近所の有名なロースターのカフェに寄り、まずは夫と、次に、検査を受ける前からあれこれ相談していた友人にLINEで結果を伝えた。あとはただただ、1時間ほどボーッと過ごしていたと思う。帰るとき、店前のものすごくわかりやすい段差に気づかず、派手につまずいたことはよく覚えている。

夫ともよく相談し、今いるこの病院への紹介状を書いてもらい、7月半ばに初診。その日のうちにおこなったいくつかの検査と、クリニックで受けた組織検査をさらに詳しく調べた結果が、これから主治医となる先生のもとへ届いていて、私の病は想像よりかなりやっかいなものだと知る。

トリプルネガティブ乳がん、すでに腋のリンパ節へ転移あり。
乳がんの中でも10%くらいしかいない、いちばんタチが悪いとか、予後が悪い、生存率が低い、と言われているタイプだ。クリニックで乳がんの告知を受けてからいろいろと検索し、乳がんにも4つのタイプがあることを知り、せめてトリプルネガティブではありませんようにと祈っていた、まさかのそれに当たってしまうとは。

それからずっと、頭の中でぐるんぐるんと、いろんなことが巡っていてなかなか整理がつかない。そりゃそうだよな、がんだもの。心がざわざわしながら、度重なる検査や、治療を進めるにあたって考えることや決断することが山ほどあって、なんだかんだ忙しい。普通は忙しければ気が紛れるのに、考える内容が病気のことだから、一向に気が紛れることがない。もともと寝つきが悪いのがさらに眠れなくなって、主治医に睡眠薬を処方してもらったが、それもなんだか怖くて飲めなくて。いまだに眠れないまま。

noteは日々のごはん日記くらいなスタンスで始めたはずなんだけどな。方向がすっかり変わってしまった。もちろん、なんでもないことも書いていくつもりだけど、これからは、病とわたし、についても、思うことを綴っていきたいと思う。なんだかまとまらないけれど、長くなったので今日のところはこのへんで。


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