見出し画像

あほんだらのだら助

こんにちは。
しかないかよこです。

毎週金曜日の夜は、小澤俊夫先生の昔話大学に参加するメンバーで
昔ばなしを読みあっています。

先日の読んだ本は以下の通りでした。

「おやじをやく」(『かたれやまんば』藤田浩子の語りを聞く会出版)
「おおかみのくれた玉」(『やまと・なにわの昔語り』星の環会出版)
「7羽のカラス」(『おはなしのろうそく』東京こども図書館出版)
「この世のおわり」(『世界のむかしばなし』のら書店出版)

私が読んだのは、2冊目と4冊目。
1冊目のお話が、ぐずでまぬけな男のお話だったので、
それをうけて「おおかみのくれた玉」を選んで読みました。
読み終わった後、みんなで感想をシェアします。

「”だら助”って、”だらだらする”から”だら助”かとおもったら、
あほんだらの”だら助”なんだぁ」とのこと。
大阪出身の私は、そんなところがポイントになるとは
未だかつて思ったこともなく、衝撃でした。
この会のメンバーで、大阪出身は私だけです。

関東出身のメンバーは、
「”あほんだら”なんて使ったことがない。そもそも”あほ”もつかわないし」とのこと。

確かに、私も”あほんだら”を日常、つかっていたか?と聞かれると、
”あほ”はあるけど、”あほんだら”のシーンは思いつかない。
しかし、そんなになじみがないわけではない。
そこで反芻してみました。
”あほんだら””あほんだら”

そうだ!
私の中で”あほんだら”のシーンといえば、
吉本新喜劇
思い出すのは、帯谷孝史さん。

私は、小学生の頃から吉本新喜劇を見るのがすきで、
毎週、とても楽しみにしていました。
帯谷孝史さんは、”ポット”ネタでいじられていたことを思い出しました。

私が特に好きだったのは「あっちこっち丁稚」。
水戸黄門さながら、おちは毎回同じなのに、飽きもせずにみていました。

今ふりかえると、
展開がお約束なことが、安心して見ることができる
要素かもしれません。
確かにスリルやドキドキはないですが、
どのストーリーもほんわか温かい気持ちで終わります。

昔ばなしで、でてくる”あほんだら”も、
身を亡ぼすのではなく、あほんだらの視点で
人生を切り開いていきます。
それがお約束のような気がして、
「あるところに、ほんまにぐずでまぬけな男がおったんやと」
で始まるお話は、
「どんな展開がまっているのだろう」と
”あほんだら”と評されている男の成長が楽しみでもあります。
昔ばなしの”まぬけなおとこ”はどこか愛しい部分があります。

それは、昔見た吉本新喜劇の
「ちょっと失敗したけど、前を向いて進んでいく」
ストーリーに似ていて、愛しいなぁと思いました。
まわりの登場人物も最初は失敗をいじりますが、
解決できるように助けます。

昔話大学の小澤先生は、示唆にとんだお話をしてくださいます。
ここにひとつ、引用させていただきます。

 ぼくの母は、ぼくらの手が離れたころ、「わたしはうちのなかで空気のような存在でありたいと思っていたのよ」とポツリと言ったことがあります。空気はふだんはその存在に気づきませんが、でもなければ生きていけません。父はぼくらの家が戦後貧しかったときに、音楽好きなぼくらのためにピアノを買ってくれた。「こんなに貧乏なのに……」と、親戚からは批判されたようですが、父は「おれの自由教育が正しかったかどうかを証明するのはお前たちだ」とぼくらに言ったことがあります。ぼくは「証明できないはずはない」と思いましたね。父も母も、ぼくら子どもたちを完全に信頼していました。 
~KUMON スペシャルインタビューVol.029 昔話研究者 小澤俊夫先生 後編より~

 我が家の愛しい”あほんだら”たちも、どのように成長するか、信頼し、
見守っていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?