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日記 雑記7/8(金)

新しいバイトの前は不安だからズボンのポケットにイヤホンを入れて帰り道にとっておくことにした。道中は外を眺めて頭の中で創作を考えていた。東京の街は無機質というイメージだけど、実際は錆びた建物や植物が絡まった橋と川があってかなり有機的だ。昨日買った一般的なブラウスを着ていて、他の人々に混じれている気がして良かったけど、自分だけ間違っているみたいだとはずっと思う。

バイト後は対人で間違えなかったか不安になる嫌なルーティンに入っていた。バイト中、日本にどんなことでも起こりうると思わせるニュースを知った。帰り道、ほかの駅に降りてみてもよかったけどやめた。音楽は聴かなかった。ずっと創作が浮かんでくるから絶対に描くと決めた。将来のことは考えるたびに自分の不適合が突きつけられるから、いつも極端に自死で終わるのかなぁとか考えてしまう。

帰りは暑かった。ブラウスのおかげでまだ他人に混じれていた。昼は食べ過ぎて気持ち悪くなった。夕方にまた用事があった。集団で集まる用事。具合悪くなったし、人に会うのが怖かったけど、雑なTシャツを着て大学に行った。穴場で一人でパソコンを見ていた。インターンのエントリーシートを出して手が震えた。

集団で集まった。自分のミスに気づいて謝ったり、言葉を発したりした。集団の中にいると自分はやっぱり居心地の悪さを感じて、どこにいてもここじゃないと思う。悪いことをしているみたいで、後ろめたさを感じる。帰りにたった一人の同期が、おれがいると安心すると言ってくれた。おれは「珍しいね」としか返せなかった。あんまり言われたことがなかったから。本当はおれだってお前がいるから助かってるよと言うべきだったし、言いたかった。そういうことが口からこぼれるのが真心だろうに、おれはそれができない人間なんだ。同期と別れた後は後輩の中で一人だった。

去年とか今年に気づいた、口からこぼれる挨拶とか労りとか別れ際の「気をつけてね」とか笑顔とか、そういうのが日常でいう愛情なんだろうということ、自分が与えられてばかりだということ。いつになったら意識せずとも他人に寛容になれて、そういうことができるようになるんだろうか。いつになったら他人に素直になれるんだろうか。エヴァであった、自分自身を嫌いな奴が他人を愛せるはずがないというようなことを実感したことはあるけど、またそれだろうか。自分は全ての他人に嫌われていると思っている。

帰ってから買い物に行った。贅沢をしてホットケーキミックスを買った。バイトが増えたからまた容量オーバーで憂鬱が来て動けなくなる予感がする。でも帰り道の空は灰色の雲の中にところどころ水色が光っていて、それだけで綺麗な絵を見た時みたいな安らぎを感じられたから大丈夫だろうと少し思えた。

自分で自分を傷つけると安心するから薬よりも必要なことがある。他人の幸福と不幸は自分のそれと全く関係ないんだとちゃんと意識しないと、また心が狭い悪い人間になってしまう。他人の幸福と不幸は自分の幸福と不幸にとって全く重要じゃない。
自分より生きやすそうな人を見ると嫉妬してしまう、薄汚い人間だ。比べる必要なんかないと多くの人が言うのに、幼い頃から治らない。

然るべきところに情けない浅いミミズ腫れを作って、自分がこれで許されたらいいのになと思う。賃貸に暮らすことは、残高をがっぽり持っていく家賃を連想させて辛い。父親の部屋で読んだ古雑誌で、知らない女優のインタビューにあった、「他人は関係ないじゃん」という言葉をこんなに長く覚えているなんて思わなかった。

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