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■職活動を穿ち、昇華す

こんにちは。
タイトルの通り自分のために■職活動を昇華するための文を書きます。私自身■職活動という言葉が好きじゃないし、見るのも嫌だという人も他にいるだろうから伏せ字にしています。大学生がよくやる■職活動です。


2022年5月某夜、私の精神はどん底の暗部と明るい頂点の両方を味わった。学校の精神科相談に行く前日のこと。深夜、精神が完全に終わり、泣きながら近所の川に行く。いつしか精神無双状態の明るい狂気が来ると、川に入ったり水を掬って飲んだり歌ったりしてそのまま川辺で夜を明かした。意味がわからないと思うが、色々あった。そして6月、精神科に通い始め徐々に安定してきた。これからの進路は自分で選んで幸福を最大化したいと思いながら、精神が安定しているうちにいくつかの■活サイトに登録した。この時から新聞記者の道へ進みたいと思っていた。

同月、オファー型■活サイトからオファーをしてきた会社の説明会に出る。全く興味のない不動産会社だ。Zoomの画面にはたくさんの大学生の顔が並んでいた。内定者の話もあった。内定者のポニーテールの女性がいかにも営業マンという感じの社員の隣に出てくる。自己紹介のパワーポイントには、簡単な経歴の横に飲み屋で変顔をする彼女の写真が映され、彼女と社員は笑っていた。「あぁ、了解、」。一連のくだりは私の中で「了解ユーモア」へと振り分けられた(「了解ユーモア」とは、私にとっては全く笑えないけれど周りが笑っているユーモアのことだ。私は最大でも「お、了解です !」としか思えないからそう名付けた)。

説明会は、「夏季インターンシップがあるのでぜひ応募を!」と、インターンの宣伝で終わった。この会社では3日間のインターンを通して学生に本気で企画立案のグループワークに取り組ませるのを売りにしている。不安というフィルターを通して他者からの影響を受けやすい私は少し応募してみようかなと思ったが、絶対に向いていない雰囲気を察知したため応募しないでいた。すると数日後、その企業から電話がかかってきた。インターンへの参加を促す内容の電話だった。断りきれずに流されるままスケジューリングされ、インターンのためのウェブ面接を受ける羽目になった。わざわざ電話をかけて参加を促すところに少し胡散臭さを感じた。

高校生の頃から、自分は■活で心の病気になるかドロップアウトするだろうとずっと思っていた。自分がこの活動に向いていないと分かっていた。だが■活をせずに済む別の道を創ってこなかった。

面接の日、どうせうまく喋れないだろうと鬱々とした気持ちで画面の前に座る。面接官は笑顔の若い男性1人、そして参加者は私のほかに2人の男女の学生だった。女性の方は緊張しながらもしっかり喋っていた。すごいなあと思っていると面接官がボソッと一言、「距離感じるなー……」。怖っ。若い体育会系の男のつぶやき怖っ。私は思ったより緊張しており、声は震え言葉は突っかかりまくった。もう1人の男性は自然に喋り、画面上方にはパソコンに貼ってある付箋がビラビラしていた。男性曰く、「読書が趣味でメモをとっていて、付箋が…、すみません」。その後も自然かつしっかりとした回答を続けていく。「〇〇君、キミ内定」。私は画面の外で親指を立てた。この時から「勝手に内定ごっこ」が始まった。しっかりしている人を見つけて勝手に心の中で内定を出すしょうもない遊びだ。私にしては喋った方だったが、この「私にしては」は非常にハードルが低い。面接が終わった瞬間、「よっしゃ終わったぜー」と言って、スーツを脱ぎ捨てTシャツとジーパンに着替え、薬局に精神薬をとりに行った。後日選考落ちの連絡が来た。


6、7月は企業の説明会に参加したり、夏季インターンの選考のためエントリーシートを提出したりしていた。全てウェブ上で済ましていたし、特に■活のせいでとても忙しいというわけではなかった。避けていた部分もある。■活サイトからのメールを見るだけで一気に気分が鬱の方へ振れる時もあった。7月、当時第一志望だった某新聞社からインターンの選考通過のメールが来た。エントリーシートに加えて作文も選考に含まれていたため、自分の書いた文章が認められたと思うと嬉しかった。

8月下旬、某新聞社のインターンシップが2日間開催された。私にとっては初めての対面で参加する■活行事だった。不安の中、1時間以上かけて都心の本社ビルに着く。ロビーにはすでに数人の大学生が待っていた。3人がけの椅子とテーブルにそれぞれ腰掛けて談笑をしていた。その様子は初対面を疑うほど親しげで「社会人」の卵という印象を受けた。私は誰も席に着いていない机に座った。私には人と接するにあたって重大な認知の歪みがあった。それは、自分は全人類にとって不快な存在であるという認知。よって、易々と人と接することができる性格ではない。

そしてここから、精神的生き地獄が始まる。
インターンは自己紹介から始まった。二十数名の前で、人事や社員に囲まれた状態で自分について話すのだ。私は前日ここで話すことをぼんやり考えていた。まぁ軽く、趣味の映画鑑賞についてかな〜、といった具合に。トップバッターは、すらっとしたボブの女性だった。ちゃんと考えてきた文章だった。聞き手の関心を集めかつ自分のことを知ってもらうための話、記者になることへの熱い思い……。私の脳内にある、昨日考えた雑な自己紹介文に早速変更が迫られる。そして記者のインターンらしく一人ひとりの自己紹介の後に質疑応答の時間があった。みんな次々と手を挙げ、ハキハキとした口調で質問を並べ、回答へのコメントも述べていく。この自己紹介の時間、私は胸を槍で抉られるようにジリジリと精神を消耗していった。そして自分の番では研究分野、サークル活動、クエンティン・タランティーノ監督の映画が好きなことを断片的に述べただけで終わった。笑顔で溌剌と質問してくる他の大学生が憎かった。私は他の■活生への私怨を拗らせていたのだ。みんな、「大学時代に力を入れていること」があった。私のような認知の歪みを拗らせている者はそこでは醜い成り損ないだと知った。心が死んでいく感覚を覚えている。

初日で見たものは、社会人みたいな言葉遣いで喋る大学生。休憩時間も社員に質問に行く大学生。他の大学生と話す大学生。グループディスカッションもあったが、私はたいして発言できなかった。話の引き出しの少なさが情けなくなった。初日が終わって、私は家で号泣した。他の学生と自分を比べ、自分がいかに何もしてこなかったかを悔やみ、大学に行かせてくれている親に申し訳ないと思い、大学を辞めた方がいいのではないかとまで考えた。二日目を仮病で休むことも考えた。翌朝、行動ひとつひとつに時間がかかった。泣きながら準備をして家を出たし、電車でも涙目だった。

二日目は記者会見と記事執筆体験があった。一般記者として働く社員の講和と質疑を通してその人に関する記事を書くというものだった。書いている時だけは楽しかった。新聞用の原稿用紙が自分の言葉で埋まっていく感覚に充足感を覚え、やっぱり文章を書くことは好きなんだと分かった。書いた記事の講評も社員から受けた。同じグループの、海外で学生記者をした経験のある男性と一緒だった。またどん底比較が発生すると身構えたが、彼と私が取り上げた内容はかなり似ており、杞憂に終わった。そして最後に企業説明やエントリーシートを書くコツを聞いて解散となった。最後、私も社員に質問に行った。「内向的な人でも記者はできると思いますか。」三人に聞いた。さまざまな記者がいて、その内向的な人にしか書けない内容もあるのでは、とのことだった。自分が鈍感が故に激務に耐えるには助かっていると言う社員もいた。人事によると、「人が好き」であることが記者になれる条件らしかった。記者は向いていないだろうな。そう思った。

インターンの後日、バイトに向かう電車の中、私はなぜあそこで他の大学生への拒絶を抱いたのか、あんなに息苦しかったのか、ずっと考えていた。まず自分と他の学生とを比べたこと。私は自分が他者にとって不快な存在であるという思考によって、人と話す場面になると勝手に怖気付く。だから、堂々と自己PRできたりして自分が嫌われる前提なんか感じたことのない人を見ると、勝手に比較して自分の惨めさが際立って傷つく。それが活き活きした大学生によって傷つけられたのだという被害妄想にすり替わり、そんな大学生になれない自分を守るために反射的に「気持ち悪い」という否定を彼らに向けていたのだった。内気で無愛想な自分はみんなに嫌われている、そうやって自分を抑圧してジメジメしたところに追い込んでいたのは、自分で作り上げた”社会では一般的にこうあるべき”という固定観念に過ぎなかった。電車に乗っている他の人は私に対して何も思っていないし、私が彼らに対して何かを思っても他人は知る由もない。だから他人に嫌われているとか考えても仕方がないのだと分かった瞬間、息苦しさがなくなった。このことに気づくことができてから、その後の対人関係がすごく楽になったと感じるので、当時は生き地獄だったものの、このインターンには参加して良かったと今は思う。


その後も新聞社や物流会社のインターンシップや説明会に参加したりしていたが、そこまで積極的に参加はしていなかったし、エントリーシートの作成や面接練習も全くしていなかった。精神も浮き沈みを繰り返していた。12月、精神は再び底の方へ沈んでいった。人を殴りたい気持ちを抑えてバイトに行ったりしていて、犯罪寸前だった。2022年の目標は好青年だったのだが、同年最後の月に自分が犯罪者予備軍だということを自覚して終わった。その精神状態が落ち着いたとき、ふと思ったのは、私が大義を持って記者になる必要はないということだった。私より優秀で記者向きの人はいくらでもいるだろう。社会のためという大義も大事だが、私は自分の幸福を最大化して良くて、身の丈にあった暮らしをしてもいいのだと思えた。それから地元での就職を検討した。理由は愛着のある地元で暮らすことが自分にとっては精神的に楽だと思ったからだ。

2023年に入り、いよいよ志望してきた企業の選考が始まってきた。エントリーシートを書いたり、適性検査の勉強をしたりしていたが、バイト先の小さな会社で新卒として雇いたいという話をされ、そこで良くね?という気持ちが先行していた。■活をしなくて済むなら……。それでも細かい勤務条件は聞けていなかったし、確定で雇えるかは分からないとのことだったので、それまでは■活を続けることにした。

2月、以前インターンで精神的生き地獄を味わった某新聞社の書類選考に通ったが、通ると思っていなかったため面接準備も取り急ぎ学校の■活支援の人と一度やったくらいだった。作文練習も直前に数本書いたくらいだ。もうそこで働く意欲もなかったので、落ちてもいいという気持ちだった。作文はテーマに沿って1時間で800字書くのだが、練習しておいたものをネタに書けた。Zoomでも面接は嫌すぎた。実際にはエントリーシートに沿った簡単な話が多かったが、喋りが下手で満足いく面接にはならなかった。最後の質問で、記者に求めるものは何か聞いた。「人に好かれる人かということを面接で見ています。」と社員は答えた。やっぱりおれには無理だ……。私は好かれにくい人間だ。きっと印象が良くないからだろうが、普段から他人と仲良しの間合いをうまくとることがなかなかできないし、学校やバイト先、街中など人が集まっているところにいると、自分だけが間違っているような感覚を持つことが多々あるからだ。後日、選考落ちの連絡が来た。

また、この辺りの時期に■活の営業電話がかかってきた。内容は、■活エージェントとのオンライン面談への勧誘だった。やはり断るのが苦手な私は「はい、はい」と流され、その場でスケジュールを組まれてしまった。面談相手は以前化粧品業界で働いていたという若い女性だった。私は無内定であることを伝えたり、「学生時代力を入れたこと」は勉強しかないと伝えると、彼女は困った顔をした。私自身は無内定と学生時代力を入れたことが勉強であることを悪いとは思っていなかったから、それが■活という場では評価できないことのように決めつけられたのがなんだか嫌だった。ZOOMの画面外で中指を立てながら、取り繕った笑顔で話を聞いた。すると、全く興味のないIT企業の説明会への参加を促された。「一旦内定を取っておくといいですよ」とのことだった。その後も営業文句に流されて、断れずに説明会の参加予約をさせられた。初対面の人間に自分の進路の軌道をやんわりと決められることの違和感に気づいたのは面談終了後だった。後日、その説明会を途中離脱した。

3月に入ってからは、新聞社で働くことへの熱意もなくなった。主にオファー型■活サイトで進めていた。さまざまな業界からオファーが来たので、この時期説明会に参加した企業の業界は、教育、建築、保険、などバラバラだ。そして3月から、書類選考、面接へと本格的に進んでいった。

自分で自分に「話ながっ」とツッコむ面接官、(趣味を大喜利と答えた私が悪いが)大喜利を振られて何も回答できずに悔しかったこと、内向的なのを治したいなら一人カラオケとか行けとトップのジジイに言われたので面接後カラオケに行ったこと、面接後の不安から気を紛らわすために小声で「セックスセックスセックスセックス」と呟きながら近所を歩いたこと、など、別にいいとも悪いとも言えない記憶だけがたくさんある。

結局、6月初めに某企業から内定が出るまで、無内定の中、10社ほど受けては落ちるを繰り返していた。志望度が高い企業の選考結果待ちの間は、この不安から解放されたくて誰かが撃ち殺してくれますようにと願っていた。

面接で適性検査の性格診断の結果をもとに、私の人格的な欠点を指摘されたこともあった。■活の嫌なところは、社会の規範に自分が当てはめられることだ。あくまで会社で役に立つか立たないかで私は判断される。だから自分を判断されているようであって、本当には評価されていないし、そもそも一人の人間として他人から評価されるということ自体に違和感がある。■活を嫌がる学生が多いのは、こういう評価の方法がよく考えられていないからだろうと思う。

向いていないと思っていたことでも、なんとか就職先が決まった。どうせ別の不安が来ることはよくわかっているので、そんなに喜ぶことは無く、卒論に集中できることと不安からひとまず解放されたことが嬉しかった。

私が就職をする目的は、お金を稼いで自立して父親の過干渉から遠ざかること、母に恩返しをすること、今よりは物理的に豊かな生活をして精神的にも安定した状態でいること、妹に経済的に余裕を持った状態で残りの学生生活を送ってもらうために多少の足しになることだ。

精神科には途中から行かなくなった。■活の予定と病院の予約が被っていかなかった時から。電話で予約をするのが億劫だった。精神科こそオンライン予約をちゃんと導入してほしい。内定後も何度か精神科に行った方がいいかと思う状態にはなった。希死念慮は常に薄く自分にまとわりついていて、軽率に「死にたい」がやってくる。私が大学を卒業して、就職できるかどうかは今後の自分次第だが、上に挙げた就職する目的と大義でどうにかやっていきたい。

読んでくださりありがとうございました。

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