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私が4000gの赤ん坊を産んだ日、同じ病院で5000gの赤ん坊が産まれた(古賀及子)

私が4000gの赤ん坊を産んだ日、同じ病院で5000gの赤ん坊が産まれた。

息子の話だから、もう16年前のことだ。

厚生労働省のサイトに2009年に産まれた新生児の、出生時の体重をまとめた表がある。それによるとこの年の産まれたての赤ちゃんたちの平均体重はちょうど3000gくらいらしい。4000gは、大きい。正確には3998gだった。分娩直後、息子を両手に抱いた助産師さんが苦笑しながら教えてくれたのを覚えている。

「さ、3998……(笑)」

私も驚いて、それから笑った。

はじめて授かってお腹をなぜてすごした10か月は、ありがたいことにおおむね平穏な日々だった。つわりにはそれなりに悩まされたけれど重いほどではない。妊婦健診のチェック事項である尿蛋白や尿糖も出なかったし、よく聞く静脈瘤もなかった。

右側のお尻が痛くて歩けなくなったことがあって、産院で相談しても誰にも理解してもらえず、同様の経験のある友人も見つからなくて参って、でも、ネットの掲示板でつかんだ情報から妊婦向けの腰痛ベルトの存在を知って巻いたところ一気に解消した。

むくみや抜け毛はあってもあまり気にならなかった。

あれこれ調べて臨むことをしない妊娠だった。ブログはすでにあったけれど、SNSはまだない頃で、なにもかもを情報戦としてとらえる気概が、世間的に今よりずっと手薄だったと思う。

結果、産まれたあとで育児の絶望的な大変さとか、保育園入園や仕事復帰の難しさに直面して泡をふくことになる。それでも妊娠中におおらかに過ごせたのはよかったんじゃないか。

自宅の近くの病院ではなく実家の近くで産む、里帰り出産に決めたのもなんとなくだ。なんかよくわかんないけどそういうものなんじゃないのと、出産予定日の1か月前から実家に世話になることにして、実家からいちばん近い産院に分娩を予約した。

いま母子手帳を見ると、妊娠6か月の時点からお産をする病院に健診で通っていたようだ。自宅から実家の街へは電車で2時間半あれば行けたから、2週に一度の健診くらいであれば行ける。担当の、ベテランのように見えるけれど痩せて小柄でどこか頼りなげに感じさせる医師に毎回診てもらった。

この病院では当時エコーの映像を健診のたびにVHSのビデオテープに録画してくれるサービスをしていた。ビデオテープがカルテと一緒にずらっと保管してあって、嬉しかったけれど運用はそれなりに大変だったんじゃないか。

それにしても4000gだ。母体である私の分娩までの体重増加は10キロとすこしで、これは厚生労働省の「妊娠中の体重増加指導の目安」の範囲内だ。私が大きくなりすぎたことによってお腹の中の子が大きくなったとはできれば考えたくない。

これは素人考えだけれど、予定日を過ぎてもなかなか陣痛がつかなかったのが理由ではないかと、今にいたるまで私はずっとにらんでいる。お腹にいすぎたことによって、ちょっと普通よりも大きくなったんじゃないか(いま予定日を過ぎて気を揉んでいる妊婦さんがもしこれを読んでもどうか気になさらないでほしい! 極めて個人的な話です)。

予定日をすぎて、2日経っても3日経ってもうんともすんとも何事も起こらないのは不安でしかなかった。焦ってネットで陣痛が来る方法を調べて、舟漕ぎ体操と呼ばれる独特の動きを試した。さらにこんにゃく湿布という、こんにゃくをぐらぐらのお湯で茹でて股に当てる、民間療法ここにありの儀式も試したけれどお腹はどうにも静かなままだ。

中の人は元気いっぱいお腹を内側から足でなぞった。足のかたちは外側からもよく見えて、達者な様子は伝わるのだけどいかんせん出てくる様子がない。

担当医から、予定日から10日をすぎたら処置について検討しましょうと話があった。どうしたものかと思うも、こんにゃく湿布まで試したあとにできることなどもう無い。

不安をかかえながら緊張感をつかみかねてままぼんやりと寝て起きてを繰り返した。そうして7日目の朝、洗濯物を干していて、膣のあたりからちょろちょろ温かい水が出ているのに気づいた。破水だ。

イメージする破水のあのドバっとした量ではない。のだけど、尿とはまったく感じが違う。病院に電話すると入院の支度をしてすぐに来てよしということだった。父に車を出してもらった。

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