初々しい角
世界は7月に入り、もう待ったなしという夏である。
というか、もうここは夏である。蜩が鳴けばクワガタも見つけている。浮かれた僕は色んな音を聞き違い、夏の幻聴とともに生きている日々である。窓を開ければいつでも蜩の声が聞こえるが、居場所を探ろうとすれば不思議と何かにかき消される。しかし夜の湿度は確かに夏の夜の匂いを醸し、月も確かにごきげんに鼻歌を歌っているのである。
であるからここは夏に相違ない。
しかし問題がある。
こんな素敵な夜なのに、僕はビールが飲めない。
鹿田です、よろしくね!
飲めない理由は2つある。
1つは、月火を休肝日に設定していること。
もうひとつは明日が健康診断だということである。
この記念すべき7月の3日であるならば、休肝日くらいならずらしてしまうものの(果たしてそれを休肝日と呼べるのか!)、流石に健康診断前日とあっては結果次第で今年の夏の良し悪しに大きな影響を与えてしまう。であればやむを得ず妥協せねばならまい。
というわけで本日も350mlのおーいお茶でしぶく記事を書き上げていく所存である。
今夜は満月である。7月の満月はバックムーンというらしい。
バックムーンの名前の由来は”雄鹿のツノ”=(”Buck”)が生え変わる時期であることから来ているようである。
ということはやはり鹿田は夏バカに成る可くして成ったのである。
僕の頭に生えている2つのツノは確かに毎年この時期に生え変わり、その初初しき|鹿茸《ろくじょう》の過敏な受信力によって夏という夏の一切を網羅することを可能としているのであろう。
よって妄想に過ぎないと思えていた過剰なる夏の刺激もまた、一切紛れもない本物の夏の風物詩たちであり、存在する夏たちだったのである。
それを何故か僕ばかりが察してしまうことに、確たる証拠があったことを今更鹿田は理解し、人生における最大の目標である『夏の網羅』に一歩近づくことができたと感極まってはアルコールの混ざらぬ素敵な涙を流した。
それにしても夏に暴走する感情とシラフという対立に近い2つを抱える今日の僕の文章はなんだかぎこちない。
窓を開け放ち網戸を張る。夜風は心地よく僕を包む。
月は…やはりまだ見えない。屋根の上の天辺らにいるのか、それともまだ東の空の鎮座しているのか。分からぬが見る目的であけた夜風が予想以上に心地よいので鹿田はまんざらでない。
故に夏とは特別であり、格別なのである。
と、僕は思う。
ま、それはやはり僕が鹿だからかもしれないけれど。
新緑如く生え変わった僕の角のまだ丸く、けれど敏感な時、夏の風は優しく触れて尻尾まで包み込む。眠たいようなそれでいて覚醒したようなやはり矛盾した心地は不思議に成立し、”空蝉半”の僕の隣に寄り添う。
そして月はトナカイの帽子を被っては僕を笑わせ、『それも馬鹿だよ』と笑い転げて僕が指差すと、満更でもなさそうに頭を振ってみせた。
ま、もちろん僕も馬鹿なので、肩組んで夏に杯をかわした。
月はとっくに酔っていて、「しかしトナカイの方が現代向きである!」とか区別も差別もごっちゃになってよく分からぬことを言っては笑っていた。
僕も僕で、「鹿のほうがトナカイよりしっかりしている!」なんてダジャレにもならないことを言っているので五十歩百歩である。
しかしやはり馬鹿は素晴らしい、今夜は最高な夜になりそうだ。
ではまた。
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