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鹿田、万年暁をおぼえず

どうにも眠い。ただでさえ常日頃から惰眠を貪ることに特化している鹿田である。それが今、ぽかぽか陽気の窓辺に午後、汗が出る程度の運動をしたあと、居る、のである。そこですべき事はさて、模範解答はなんであろうか。

昼寝、しかないのである。

といいつつ現在眠気と執筆欲の壮絶な葛藤戦の中ようやくこうして書いている。だからこの先隠喩や暗喩、非現実などということではなく、実際、夢現の狭間で混合し、鹿田は文を綴っているかもしれない。眠りながら作業ができたら最高だなー。小人でもぐかぐかでかい鼾をかく鹿田の周りで執筆してくれないかのう。スマホという文明の利器で書ける訳なのだから、いくら小さな小人であろうと現代っ子ならスマホを器用に使いこなすに違いない。こどもの頃布団の縁で鼓笛隊をしていたあの小人やピエロは今どこへ行った。

そう、子供の頃は妄想を具現化することができた。(ちょっとひっぱり方雑だったな、未来の鹿田より)

例えば夜中、ふと、天井をみる。暗闇の中でしっかりと素材の木目を見極めるように目を凝らす。はじめは簡単な空想からその木目をなぞったような、所謂、シュミクラ現象に想像を後押しされつつ、それでもずっとじっと見ていると、だんだんと壁が渦巻きだす。そして吸い込まれる!

ああっ!

しかしふと、恐る恐る目を再び空けるとそこはもとの自分の布団の中なのだ。そして再び落ち着いた頃にドンドコドン♪ドコドコドン♪と小人の楽団が、鼻までかぶった布団の縁の、その自分の鼻すれすれのところを通路にして横一列になり右から左へと陽気に行進する。そして左方向をずっと見送って最後の一人が消えたかと思うと、怖い怖い赤い亀が現れるのだ。漆塗りのような禍々しい赤い亀!やつだ!

僕は布団に頭から入りぶるぶる震える。

赤い亀、あっちいけーー!


と、気づくと朝になっている。

そんなふうに僕はこどもの頃から夢想の虜だった。ふと暇があると想像を繋いで見たり、読み終わった本の余韻に浸っては、主人公の語られないその後話を想像しては笑ったり泣いたりした。


あんなかんたんに空想の世界に行けたのに。
あんなかんたんに天井がぐるぐるまわっては吸い込まれたのに。


あれはやっぱり不安定な小児期特有の能力なのだろうか。現実を知らない分を補うための、限定された時期のみ覚醒するものなのだろうか。

今大人になってあの頃のように想像で遊んでみようと思っても、ちっとも浮遊感は感じないし、壁もぐるぐると回らない。それでも何とか体験したいっ!と気張るともう、余計にそれは難しくなる。

それは逆に恐怖という面でも現れた。テレビで怖いシーンを見てしまったら最後、瞼の内側に縫い付けられたように、目を閉じればとてつもない臨場感でフラッシュバックする映像。下手したらこのまま飲み込まれてしまうんじゃないかと思うほどの臨場感があったね。それでパジャマが汗で湿るなんてしょっちゅうだった。


うぅ、思い出した勢いで書き殴ったら疲れた、そして眠気が限界だ、きょうもトウトウつにおわら

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