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月夜

虫がいた。鳴いているがキーキーと聞いたことのない歪な声を出している。夜の最中だった、丑三つ時、眠らない虫がいる。

眠りが浅かった。ここ最近なかったことだ。熱帯夜が去って久しい。ふと目が覚めた、月明かりがこうっと一輪回っては冷めた。キーキー。眠らない虫がいた。

庭へ出た。何処から鳴いているのかと探るが見つからず、終いには諦めて縁側に座った。不思議な空腹感に襲われつつ、一日の始まりに腰を掛け、冷たい空気に身をゆだねた。キーキー。高く切なくなく。

風が強まった。あたりの木々が揺れて不穏を知らせている。とうとう肌寒さに負け自室に戻った。すっかり眠気の冷めた体のやり場に困りラジオをつける。クラシック曲が流れたが、タイトルはわからない。カーテンを開けて月を見上げた。机に置きっぱなしのクラッカーをつまんでは咽た。乾燥している。

やがて虫はなきやみ静かに日が昇る。僕の胃袋とそれは連結し、太陽が完全に正体を現した時にはどうしようもい飢えに襲われた。こみ上げる胃酸のような涎を両の口角からまき散らし台所へと駆けた。未開封の食パンを適当なところから割き破り、口に詰め込んだ。しかしまた咽てすべて吐き出してしまった。喉、が乾いている。

水道の蛇口に直接口を付け水を飲む。空白を満たす水に胃袋の形を感知できる気がした。水道より喉の筒を通し直接胃袋に満たされていく水。底にはクラッカーのカスが沈む。暗く寒い井戸だ。その、井戸の淵で虫が鳴ている。キーキー。見上げるが、月光に眩んだ。

満たすと同時に睡魔が襲う。それも恐ろしい程直接的な睡魔だった。悪夢を見る直前のような、体が耐え切れず、脳より先に眠る。井戸の底に体があり、途方に暮れた眼差しで脳が見下ろしている。その奥に大きな黄金色の月があった。虫が一斉に鳴きだす、キーキーキーキーキーキー。

黄金色の虫たちが、井戸の周りを取り囲んでいる。

冷たくぬるい水にぬれて、沈んでいくが、抗えない。

もう一度、夢、を見る。


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