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蛙鳴蝉噪

タリスカーの潮風を飲み、順風満帆と夏という海原を旅する僕である。
外は雨だがそれが何だと言わんばかりに妄想ははかどり、手にこびり付いた磯の匂いがまた強烈にその世界にフラッシュバックさせる。家にいて、夏の海を感じられるというのなら、僕は再び出不精に戻ろうとも厭わない。
1週間後なら。

鹿田です、よろしく!
今週は困るのである。
なぜならば週末にサクラナイツの感謝祭が控えているのだから。
台風ようまくずれて新幹線を運行させてくれと、そんな願いもタリスカーに込める。

今年もMリーグは冬という憎き大敵から鹿田を疎遠にさせ、熱中している間に季節を夏へと紡ぐという粋なことを為果しおおせた。その強き思いはあとはタチアオイが引き継ぎ、ちゃんと夏へとバトンを渡してくれることだろう。
とはいえすでにここは”夏”といっても過言ではないのだが、僕は”祭りの前”という言葉があほほど好きなので、大いに焦らす。
昨晩は夜中にホトトギスがキョコキョケキョコと鳴いていたし、この蒸せるほどの熱気は確かに、夏に、すでに等しいのであるがシュレーディンガーの箱に夏を詰め込んで夏か、まだ夏でないかと夏が鼻先寸前に来ている余裕の状況で楽しむのが夏バカの一興なのである。

再び包んだ左の手を鼻先につけ吸えば、若干磯臭さの薄れた塩の香りが漂う。そうしながら考え事をすると何を浮かべてみてもにやけてしまうので仕方ない。窓の外に打ち付ける雨音さえ軽快なリズムに変えて、得意の裏拍を刻んでは拙きかえるのうたを歌うのである。
かえるのうたが、きこえてくるよ。

「かえるのうたがきこえてくるよ」

極論、僕たちはいつでも歌える状況にしておいたほうがいい。


基本バーでは寡黙にのんでいるカエル師匠が珍しく声を発した。
久方ぶりに聞く師匠の声であるので、それが師匠の声なのか、師匠の喉元から飛び出したおくびの類なのか区別つかなかった。

「師匠、ぼくはいつだってあなたのようになりたいと思っています、歌ならいつでも歌えます!」

3つ離れたカウンターの左奥をみて、立ち上がって僕はそう叫ぶと、師匠はハイボールを一口のんで僕を見つめた。

「きみは、歌いたいかい?それともただ僕のようになりたいだけかい?」
「もちろん、両方ですよ、師匠」
「ならひとつにしとくんだな」

そういうと”クィクィッ”と2度ほどグラスを持ち上げて最後の一滴までハイボールを飲み干してから、カエル師匠はゆっくり立ち上がった。左手で黒いハットを被り、右手でビジネスバックを持ち上げて、マスターに支払いを終えると最後にもう一度だけ僕に一瞥をくれる。

「うたは、キミが好きな歌を歌えばいいのさ」
「はい!師匠」

僕の返事を聞いたか聞かぬか、それを言い切る頃にはすでに師匠は扉を開け、夏の闇に溶け込んでいた。
僕はもう一度カウンターに座り直し、もう1杯タリスカーのハイボールを頼んだ。
(けれど惚れ込んだ師匠の歌に、僕はかないっこないのを承知している。だからせめて同じ歌を歌い、その気持を知りたいのに)

ハイボールを飲みながら僕は今頃川辺の叢で気高くなくカエル師匠を想像した。

(もしも、もしも師匠が一緒に歌おうと…)

思い詰める間さえ与えず、頭の中のカエル師匠が

(きみはにんげん、ぼくはかえる)

そう言ってやはりこちらを振り向いてはくれないのだ。
それは何一つ紛いのない真実であると、もちろん僕でさえ知っているけれど。
だから”僕たちは”と言った、言ってくれたかえる師匠の最大限の優しさが身にしみる。

クァルクク、クァルクク。
夏の大三角形を見上げてなくかえるたちは、いつも僕の帰り道をやさしく出迎えた。

クァルクク、クァルクク。
僕はそうしてその穏やかさに空を見上げ、夏の大三角を知り、怪しく吹くぬるい夏風をしり、煤けた網戸の匂いをしって、かき集めた夏のばらばらを、井戸中に集めては、満ち足りていた。

大海を知る偉大なるカエル、カエル師匠。
井戸を掘るばかりの僕に、タリスカーを教えてくれたのもまた、その御蛙である。





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