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桐生八木節健康法

天気はいい。虫撮りに行くか行かぬかで悩み、黒牢城を読むか読むまいかで悩み、時に再びベッドに戻り、さてもう昼か、という時分である。そしてそんな体楽の自分であるが、なんだか今日の雑筆は言い訳みたいに長くなる気配がしている。

鹿田です、よろしくね。

夏にいれば夏にいたで焦燥を感ずる面倒な僕である。
だがそれは仕方のないことで、なぜなら梅雨が開けたならばもう既に目の前にお盆が存在してしまうからである。盆を過ぎてからの空気の変わり様はいうまでもない。近年の温暖化が多少は加勢するが、夏バカは空気の変化を過敏に察してしまう。
ならば夏バカらしく、午後はやはり虫撮りにでかけよう、バッテリーなら昨夜充電したばかりである、と端から根拠を覆してみたりする。

しかしもうしばし鹿田の雑筆に皆様お付き合いくだされ。現在時刻は11:10。これよりお昼まで執筆欲を消化させ、午後は晴れ晴れと野山に出向く。

明日は海の日である。鹿田は仕事関係の研修に出向く予定で僕自身に休日は関係ない。だがしかし海の日は海の日、ここより夏が本格的に始まると言っても過言ではない。事実僕自身も来週には暑気払いを控えているし、週末は念願の桐生である。

今年はあちこちで祭りが再開され、桐生八木節も例外ではない。郡山のビール祭りももちろん行われ、夏らしきお祭りフィーバーの復活である。

やはり夏は縁日や花火に幻想的な夜がなくては物足りない。その復活に感涙さえ無褒美に滴らす僕である。

ま、しかしかの感染症も5類に格下げされたとはいえ脅威が完全に失せた訳では無い。ということで僕は上司に究極の選択を迫られたのである。

『ビール祭りか、桐生八木節、どちらか一つを選びなさい』

おっしゃることは御尤も。内なる理性は納得しつつも夏に活性化する我が野生は暴虐にも暴れまわり、手の届く一切のものに爪を伸ばし、斬りつける。

どっちかなんて嫌だ、うぉぉぉぉ!!

と。
その姿北欧神話のフェンリル如しである。

しかし口からでかかる「両方いかなきゃ夏じゃない!!」は所長の睨みにまけて「ファオ‐‐」という情けない負け犬の遠吠えに成り下がった。

ま、わかっちゃいるのだけれど。
実際のところ、八木節だって輪に混ざって踊れるかどうかも怪しいところだ。所長のお孫さんもくるし、なにより僕は桐生八木節の全盛期の人口密度を知っている。今年はそれを上回る可能性だって高い。

でもそしたら僕は、まつりの会場入口あたりの桐生駅のあたりで、遠い祭り囃子にのって盛大に踊ってやるのだ。同行する所長やメガネさんや、所長の親類がどんなに止めようと、僕は桐生駅前で盛大に踊ってやるのである。そのくらいやってもいい。
はぁ~尤もだぁー尤もだぁ)とみんなも肯定の合いの手をいれてくれるから、その時僕を妨げられるものなどいやしないだろう。

もしかしたらひとも集まるかもしれない。駅前でみんなで桐生八木節をおどるのである。会場より少し連れているから多少密度は薄さを継続できるはずだ。駅前の、あの八木節の時計を囲んで、非公式会場をつくり上げてしまえばいい。

ひとの人数さえ劣るが、勢いは劣らない。その非公式桐生八木節は朝まで続く。そのうちわたらせ渓谷鐵道のトロッコわっしー号も来るだろう。そしたらみんなで踊りながら乗り込んでいく。乗客は驚くかもしれないが皆桐生八木節をしらない訳がない。そのうち楽しくなって乗客みんなで踊りだす、車掌も肩でリズムを刻んでわっしー号は日光まで向かってゆく。

日光でももちろんみんな踊りながら下車する。
あれ、よく見るとあの大正レトロな線対称の駅舎に、「歓迎!桐生八木節!」なる垂れ幕が下げてあるではないか。そして駅前のスペースでは既に人々が桐生八木節を踊っていて、桐生市より訪れた僕たちの列に自然と後方から参列していく。

僕たちはもう楽しくて仕方ない。いつの間にかいたワッシーくんも短い手足で器用に八木節を踊っている。誰かが「わっしー号出発だ!」と声を上げると、わっしーが先頭に立ちは小走りで桐生八木節を踊り始めた。みんなもあとをつく。

そしてその勢いは収まることを知らなかった。
今も日本中をわっしーくんを先頭に、高速桐生八木節軍団は踊り走っている。
日に日に人数はまし、そのうち日本全国民が桐生八木節を踊りだす。

もちろん日常的に踊るようになった日本の人々は圧倒的な健康な身体を手に入れ、二度と感染症の蔓延ることがなかったという。

めでたしめでたし。

あ、こんなのもあったよ


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