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いろんな夏のなかの夏

夏の思い出、というタグがある。勿論夏、という文字が僕の視界に収まらないことはなく、常に意識しては視線を逸らす…ということを繰り返してきたわけである。当然可能であれば僕はアロハシャツを風に靡かせたい。靡かせたいけれど、さすがに、寒いのである。何なら今日はすでにモンベルの金ぴかアウターを着ている鹿田である。

監査に始まり監査に終わった今年の夏であるが、まあ、とにかく静かに語りだす。

鹿田です、よろしくね。
思えば初夏がピークであった。長らく埃をかぶらせていたデジカメを手に取り、休みとあらば野山をうきうきと走り回ったあの日。いろんな虫に会い、そしてゾウムシと邂逅し、じりじり照りつく石の階段を息を切らしながら登ると、全方向に広がっていたあの、夏の空、入道雲、3D音響の夏蟲の声たち。夏には、僕はバカ程生きている、とおもえるのである。あの自然公園の坂道、木陰の涼しさ、木漏れ日、ふかふかの腐葉土踏んだ感触、麦わら帽子にこもる熱気、脱いだ時の風の涼しさ。それから飲んでは寝そべり涼風にあたりながら川を見つめた簗、止むことのなかった花火大会に縁日、裏路地探検、ひまわり畑で飲んだラムネ、そして桐生八木節。ピンクの靄の向こうにあった夢の世界は、夢か現かわからぬ僕であるから、むしろそれらは現実だったのかもしれない。

しかし、そう思っても、思い込んでも心の底の方で冷たい風が吹き、何もできなかった、という気持ちが再び戻ってくると取り返しのつかないことをしたような過度な焦燥にかられ居ても立っても居られなくなるのである。

鹿田のHPの緑色は、夏の緑なのである。消費もしていないのにゲージはすでに黄色で、この時期の黄色は鹿田を余計悲しませる。

しかしま、そんなことをグチグチ言っていても鹿田ない。過ぎ去ったものは戻らないのだから再び顔を上げ、前を向き、貪欲に突き進むのみである。幸い来週末には群馬旅行も控え、それが鹿田の背を優しく後押ししてくれる。秋にも秋の良さがわかる、そんな大人にはなりたくないがしかしつまらんものばかり見ていてもこれまた鹿田がないので青く澄んだ秋の空を見つめて一呼吸、ゆっくり吸ってははく今が鹿田の季節の変わり目なのである。

監査準備のため休日出勤も多かったが、午後は休もうということでよく職員みんなでカフェや本屋に出かけるなどもしたし、普段なかなかすれ違いの多い職場であるので、膝を突き合わせじっくり監査準備に当たれたことは悪くないといえば悪くない。

コメダのジェリコ、巨大かき氷、少しレトロなあの空間は夏を濃くし不思議と夏メーターが充実したことを覚えている。


事務処理も、夏のさなかのことなので窓を開け放しては入りこんできたあの心地いい午前の風。空。サンシェイドが膨らんではもどって、膨らんでは戻ってしていた窓辺。鳥の声。近所の子供達の欠けていく声。夕方になると隣の小さな焼肉屋からはとても空腹を促す匂いが流れてきて、また日々同じような声の客で賑わっていた。僕たちはまだ少し、後少し飲み会は我慢しないといけないから、その風景を見て妬ましくなりもしたけれど、夏の夕暮れ時の風が包むその世界は、馬鹿みたいに優しい夏の景色だった。

仕事の合間に近所の自販機にいって缶のサイダーを買ってくるだけでも、実は僕はワクワクしてすこし駆け足になった。すぐ先の高架下の暗闇をじっと見つめると、湿気た土の匂いがして好奇心をくすぐった。また時々職場にいろんな虫が入り込んできて、「虫撮りにこないの?」というから、僕は居た堪れなくなって足がうずうずしてしまうのだが、ま、来年もあるさ、と心穏やかに思えたのは、まさに夏のさなかにいたから可能なことだったのである。

家に帰ればすぐ缶ビールの蓋を開け、テレビを見てぼーっと過ごす。あ、勿論その前に風呂には入るのだが万年カラスの行水である僕なので、夏の入浴時間など五劫の擦り切れ如くなのである。それでも汗を流した体は快適で、また水分を欲し、ぐびっつと飲み干す。仕事の疲れもあるからあっという間に寝てしまうのだが、その寝付くまでにも汗に湿った枕の冷たさや、すぐに熱をもつタオルケット、そして前にも言ったように僕は窓を開けたまま眠ることができないから自業自得のサウナ地獄でよくうなされることもなく(夏にいるなぁ)と安心して毎夜毎夜満面の笑みで眠りについたのである。
幸せとは、気づかないだけでいつも隣で微笑んでいる。そんな名言のひとつもありそうな当たり前のことはいつも当たり前でなくて、こうして欲求不満であったからこそ気づけたといえば気づけたのである。
かっこよく話を締めようとするのならば。

ま、しかしたまにはかっこいいもいいなと思ってしまったので今日のところはかっこよく締めておくことにする。
ではまた。



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夏の思い出

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