統合失調症の兄がいます。


あぁ、また今日も兄が暴れている。

「死ね」「死ね」と言いながら壁を殴っている。

ドスーン、ドスーンと大きい音で。

そりゃあ誰だって「死ね」って思う事はあると思う。こっちは安全に運転をすべく法的速度を守っているのに、遅いという感情でわざと車体を近付けたり左右へフラフラしてきたりする人が後ろに着いてしまった時とか、お風呂上がりに前を歩いているオッちゃんがタバコを吸っていて、せっかくのキレイな身体が台無しになってしまった時とか。

だけれどもうイイ大人、アラサー、アラフォーなんだ。いちいち他人に腹を立ててしまっては時間が勿体ないではないか。

私たちは毎日、一秒、一秒と死に向かって進んでいる。今のところ生き物の致死率は100%だ。(もう少し未来では、科学技術で死なない人も出てくるかもしれないけど。)

みな滅びゆくもの、死んでしまうものなのに、何故今、死んで欲しい対象もいないのに、壁に向かって「死ね」「死ね」と怒らねばならないのか。

そもそも、自分が「死ぬ」という選択肢は無いのだろうか。

今、いもうとに、わたしに、「死ね」と思われていることを彼はわからないのだろうか。

どうしようもないときに、漠然と他人の死を願ってしまうのはそういう家系だからなのか。


わたしには、統合失調症の兄がいる。

「病気のせい」と思っても、正直、やりきれない事がたくさんある。

家のガラス戸は壊れ、深夜に大暴れする兄に首を掴まれ「殺してやる」と叫ばれたり、静止する母へも暴行し「監視されている」と警察へ電話したり。

「俺は何回も警察のお世話になったんじゃ!」

と兄は叫んでいた。友人もいない、家族もいない、地方の大学へ通っている時に発作が起こった時、警察に駆け込んで話を聞いていて貰っていたらしい。

孤独で、可哀想で、プライドだけは高い兄は、もう40代も近いのに就職も決まらず、家で日々を過ごしている。

某事件が起こって世間を震撼させた犯人が、同じ病気だったとか言われると、家族は怖くてたまらない。

そして事件が騒がしい時に限って

「あそこに子供がいる!監視されてる!誰かの陰謀だ!!殺してもいいかな」

などと言い始める。

この間、おもむろに包丁を取り出して「だれか殺してきてイイ?」と言ってきた時は、心臓が凍り付いた。



通院はしているが、回復の兆しが見えない。

本人が病気であると否定し始めている。

薬は飲んだの?

…飲んだ。口では言っている。



わかってる。一番苦しいのは本人だと思う。

ちょっとしたことで感情が揺さぶられて、制御が出来なくて、そういう病気なのだと理解している。


だけど、私は正直言うと関わりたくない。

統合失調症で暴れて手がつけられない兄を殺してイイ法律があるなら、私はそっと首を絞めるだろう。


あぁ、兄が暴れている。


ドン、ドンドンと大きい音を立ててモノを投げつけている。



音が、怖い。


兄が、人を殺めないか、怖い。
















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