先延ばしは恥だが役に立つ?
さぁ、今日はどんな価値を創ろうか。
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださり、ありがとうございます。
今日は「先延ばし癖」について考えてみたいと思います。
というのも、先延ばしって怠け者的なイメージを受ける言葉ですが、実はいい面もあると感じているんですよね。
褒めたたえるわけではないけれど、柔軟に考えるきっかけになれば。
私は1日1ページのデイリータイプの手帳を使っています。
毎週日曜日になったら日ごとにTo Doリストを作り、毎日タスクをクリアしてはリストにチェックを入れていきます。チェックボックスにいちいちレ点を書き込むのが気持ちいい。
こういうやり方をしていると、なんとなく気が向かない。別に明日でもいいや。という感情が芽生えて翌日に持ち越され続けるタスクが必ず発生します。
そう、先延ばし。
よほど自己管理ができる人以外は経験したことがあると思います。あなたもそうでは?
普通の先延ばし論だと、
先延ばし癖がつくと後で自分の首を絞めることになるよ。そんなの嫌でしょう?
という話で終わりなんだけれど、今日はそれにちょっと異議を申し立てたい。
ケースバイケースではありますが、先延ばしは「見つかれば即、監獄生き」といった性質のものではないと思うんです。
というのも、計画通りタスクを片付けようが先延ばしにしようが、人間やることはやる。
夏休みの宿題だって、休みがあと10日を切ったとしてもヒイヒイ言いながら結局やります。「やりませんでした!」という選択をする強心臓の人間はそうはいません。
先延ばしにしよう、という選択をするとき、私たちの脳内にはこんな議題が上がっています。
「そのタスクって本当に重要?」
つまり、先延ばしをすることでそれが自分にとって重要かどうか、本当に早く終わらせなければいけないことなのかどうかを考えるきっかけになっている、ということ。
それでもやらなければいけないことは人間、やっぱりやる。
やらないことによるリスクが頭に付きまとうから。
一方、リスクを差し引いてもそれほどダメージのないものは…
「これってよくよく考えたらやらなくていいことだよね?」
「別にすぐやらなければいけないってことでもないよね?」
という判断が議会で下されることになります。
私、ず~っと先延ばしを続けている物事があると、しまいには
「あれ? これってそもそもなんでやらなきゃいけないの?」
と考え直すことや結局「やらない」という選択を取ることもあります。あなたもこういう選択をすることがあるんじゃないかな?
先延ばしにしてやらなかったとしても、なんのダメージも受けない物事さえあるはず。
何も先延ばしを歓迎しているわけじゃありません。しないならしないにこしたことはないです。
でも、先延ばしをやってしまったらやってしまったで、深刻になりすぎることもない、というのが私の考え。いかがでしょう?
もし同意いただけるなら、コメントいただけるとうれしいです。
今日はこの辺で筆を止めておきます。
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