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柿右衛門(陶磁器)ってにゃに?

ビジネスに使えるデザインの話

ビジネスにデザインの知識はけっこう使えます。苦手な人も多いから1つ知るだけでもその分アドバンテージになることもあります。noteは毎日午前7時に更新しています


柿右衛門

柿右衛門角瓶 梅花牡丹文釉金箔押し 江戸時代(1670-1690)

酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)肥前国(ひぜんのくに。現在の佐賀県)有田の陶芸家、および代々その後継者が襲名する名称。現在に至るまで本名を改名して襲名しています。2022年現在、第15代酒井田柿右衛門が当代。


柿右衛門の歴史

肥前名護屋城図屏風

豊臣秀吉は晩年、明と朝鮮に攻め入り、征服を試みました。これを文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)と言います。天正19年(1591年)8月に、翌年に明と朝鮮を攻めると日本全国に布告し、肥前国(佐賀県)に出兵拠点となる名護屋城を築き始めました。翌年の文禄元年(1592年)3月、宇喜多秀家(うきた ひでいえ)を元帥とする16万の軍勢を朝鮮に出兵しました。初期は、日本軍が朝鮮軍を撃破し、漢城、平壌などを占領していきましたが、明の援軍が到着したことによって戦況は膠着状態となり、文禄2年(1593年)、明との間に講和交渉が開始されました。このとき、多くの朝鮮人を老若男女関わらずに連れ帰り、奴隷としました。このとき、朝鮮の陶工たちも日本に連行されました。

李 参平(り さんぺい)もまた文禄・慶長の役で、肥前国の実質的な領主であった鍋島直茂(なべしま なおしげ)により日本に連行されました。その後、陶工達を連れ帰った鍋島が、李参平が窯業に従事していたことを知り、1599年から陶器を始めさせました。李参平氏は、生産に適した白磁石を求めて鍋島領内の唐津焼を作っている窯を頼りに転々としていきます。最後に有田西部地区の乱橋(現三代橋)に辿り着き、築窯しました。その後、良質で大量の白磁石「泉山磁石」を発見し、1616年(元和2年)に天狗谷窯(白川)の地で日本初の白磁器を産業として創業した。これが有田焼の起こり

そんな有田町に移住してきた酒井田円西(さかいだ-えんせい)は、息子の喜三右衛門とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していました。やがて17世紀前半に喜三右衛門は赤絵磁器の焼成に成功し柿右衛門を名乗りました。

柿右衛門の初代は、乳白色(濁手:にごしで:柿右衛門様式の磁器に見られる乳白色の素地)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立し、その作品は、東インド会社を経由して、ヨーロッパに輸出され、マイセン窯などで模倣品が作られました。また、磁器の発祥地である中国の景徳鎮窯にも影響を与え、同様の作品が作られやはりヨーロッパに輸出されました。

製作の分担

作品は酒井田柿右衛門名義となっていますが、特に江戸時代における陶磁器の製作は成形、焼成(しょうせい:粘土を窯で加熱して石質にすること)、絵付けなどの各プロセスをそれぞれ熟練した職人が分担していました。よって、一人で製作していたわけではなく分業して製作してことになります。例えば、明治時代以降では数十人の職人を雇用しており、酒井田柿右衛門は、1製作者というよりはクリエイティブ・ディレクターのほうがその実像に近いでしょう。

柿右衛門様式

柿右衛門様式六角壺 花鳥鳳凰文 (江戸時代・17世紀)

柿右衛門様式とは、主に大和絵的な花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図が特徴の様式です。上絵の色には、赤・黄・緑、そして青・紫・金などが用いられてます。また、器の口縁に「口銹(くちさび)」」と言われる銹釉(さびゆう)が施されていることが多いです。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせるのが柿右衛門様式です。その美しさや質の高さは、西洋で高く評価され、18世紀に登場したドイツのマイセン、フランスのシャンティ、イギリスのチェルシーなどのヨーロッパの主要な磁器メーカーや中国でもこの様式を模倣しています。(1760年頃には、ヨーロッパではほとんど流行しなくなっていました。)

図柄には、「岩梅に鳥」、「もみじに鹿」、「竹に虎」、「粟に鶉」など典型的なパターンがいくつかあります。絵柄は、時代とともに変化しており、初期は明赤絵の影響がありましたが、やがて狩野派土佐派四条派琳派などの影響が入っていきました。近年は写生を基にした現代的な画風が多くなっています。


濁手

柿右衛門様式、色絵松竹梅牡丹双鳳文大皿(17世紀)
画像引用:https://touroji.com/technique/nigoshidenogihou.html

濁手(にごしで)とは、柿右衛門様式の磁器の乳白色の素地。濁手の乳白色の素地は「乳白手(にゅうはくで)」とも呼ばれます。従来の磁器が青味がかった白なのに対し、濁手の素地はほぼ純白であることが特徴です。濁手は、赤色の釉薬との組み合わせによって非常に映えます。しかし、原料となる土の耐火性が強いなど調合が困難。さらに焼成時や乾燥時の体積変化が非常に大きいため、作製が困難。そのため歩留まりが良くありません。そのため18世紀前半から20世紀半ばにかけて製造が中止されていました。

大和絵

平等院 中品上生 東扉

大和絵(やまとえ)は、日本での絵画様式のひとつ。中国風の絵画「唐絵(からえ)」に対する呼称であり、平安時代(784-1185年)に発達した日本独自の絵画様式です。『源氏物語絵巻』などの絵巻物にその典型が見られます。土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼし続けています。また狩野派は、大和絵の伝統と唐画の技法・主題を統合したものと自称しています。

現代にも生き続ける柿右衛門

十五代 酒井田柿右衛門 濁手梅桜文花瓶
画像引用:日経アート

柿右衛門は、現代でも15代目が製作を続けています。濁手も復活し、このように柿右衛門の特徴である余白の美を見事に見せた上絵を描いています。ゆえに購入することも可能です(高値ですが)。

十五代酒井田柿右衛門
画像引用:https://cole.ne.jp/beauty/kakiemon/

オフィシャルウェブサイトはこちら。


まとめ

陶磁器は奥が西洋も日本も中国も奥が深く、知らないことが多かったりします。がゆえの古美術商などの目利きに知識を委ねがちになりますが、生活にも取り入れていくことが可能な陶磁器について、少しでも知っていくと生活がより豊かになっていくことでしょう。この話がどうビジネスに使えるのかというとマイセンやロイヤルコペンハーゲンなどのヨーロッパの陶磁器はある程度しっていても、それが日本や中国の陶磁器に追いつこうとして生まれたブランドだということはあまり知られていないのですが、このようブランドの生まれるところ、その源泉に近づいていくと、どのようにしてブランドが生まれていくのか、という知見になると考えたからです。

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参照



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