澤の金魚屋

 古き良き名でいうところの、遠江の国は浜松市に「おっこ」という女の子がいた。おっこは浜松市の蜆塚という町に住んでいた。蜆塚にはその名の通り、縄文時代の人々が食した貝の殻を捨てた貝塚があり、そこは遺跡として国に指定されている。当時の竪穴式住居がいくつか再現されているこの遺跡は、おっこの格好の遊び場だった。遺跡の近くには小さな湖もあり、湖の周りの、子どもの背丈ほどもある薄野原でのかくれんぼも楽しかった。また、ちょっと距離はあるが、鴨江というところに根上がり松という不思議な松が2本あった。松の根が地上に2,3メートルほどせりあがっていて、友だちと連れ立って行き、松の根っこの間にできる空間を、家に見立てて遊ぶのも愉快だった。
 こんなふうに子どもたちの想像をかきたてる遊び場はたくさんあったのだが、夏になるとおっこを惹きつけてやまない遊び場が、もう一つあった。それが澤の金魚屋だ。
 広沢というところにあるから、澤の金魚屋という名だったのだろう。澤の金魚屋がいつできたのか、おっこは知らなかったが、おっこが蜆塚に来た5歳の時にはもうあった。初めは多分父に連れていってもらったのだろうが、小学生になると、ひとりでとことこと出かけるようになった。
 澤の金魚屋は、金魚屋とはいうものの、町中のペットショップのような店舗とは違っていた。それはちょっとした公園のようなもので、山の一角を切り崩し、その斜面を利用して造られていた。坂道を上っていくと、2階建ての家があり、下は店舗になっていて、そこでは金魚すくいができる。祭りの縁日に出ているような金魚すくいが常時できて、特に夏休みには、子どもたちで賑わっていた。1回いくらだったか、もう忘れてしまったが、小学生が通い詰めることができる程度の値段だったのだろう。おっこは3年生の夏休みの間中、通い続けた。ポン(金魚すくいの道具)の紙が破れないようにするには、どんな角度で水に入れるか、金魚の動きが鈍い時間帯はいつか、など調べるために少しずつ時間をずらして出かけたり、時には母におにぎりを作ってもらい、半日ほど過ごしたりもした。
 金魚すくいに満足して外に出て、さらに奥に進むと、そこには縦横2メートルほどの水槽が全部で20個ほど、4列に並んで掘られていた。コンクリートで固めて作られていて、その中で金魚が種類ごとに飼育されていた。澤の金魚屋はただの金魚屋ではなく、金魚の養殖をしているのだった。おっこはその水槽を一つずつゆっくり見て歩く。特にランチュウの水槽ではじっと見入ってしまう。ぼこぼこした頭部が不気味で。リュウキンはランチュウよりすっきりしていてかわいいなと、これはおっこのお気に入りであった。ぐるぐると水槽を巡り、今度は樹木の茂みの中を上っていくと、四阿がある。
 木々の緑に囲まれた四阿は、強い夏の日差しを遮って、心地よい空間を作り出していた。六角形の屋根と平行に六角形のベンチがあり、おっこは、そこに寝転がって緑のあいまから覗く空を見るのが好きだった。駄洒落のようだが、空を見て心が空(から)になる場所だった。最近おっこの下に弟が生まれて、おっこは拗ねたような寂しいような思いでいたのだが、小1時間もぼうっとして過ごすと、そんな気持ちも癒えて、また地面にぐんと足を伸ばして踏みしめることができるのだ。だから他の遊び場と違って、澤の金魚屋は必ずひとりで来るのだ。
 そして、もと来た道を帰っていくのだが、帰りに必ず、行きには見なかったものを見る。養殖用水槽から少し離れたところに、これもまた地面に大きな穴が真四角に掘られていた。縦2メートル横3メートル、深さは3メートルほどだった。穴の上はがっしりとした鉄格子になっている。そこに大きな熊が一頭いた。熊はいつも空を見上げていた。それをちらっと見て、家に帰る。見慣れない真っ黒な熊の姿に、見た瞬間、あゝ怖いと思う。でもそれだけ。おっこは次の一歩を歩く時にはもう熊のことを忘れている。
 澤の金魚屋はおっこにとって、こんなところだった。

 ところでそれから8年後、澤の金魚屋に通っていた小学校低学年だったおっこは高校生になった。おっこは澤の金魚屋のことなど、もうすっかり忘れていた。
 夏休みも近いある日、おっこが学校から帰ると、弟の「あっくん」が居間でしょんぼりしていた。おっこが外遊びで夢中だったころ生まれたあっくんも、今は小学校三年生で生意気盛りだ。だが、両親には反抗ばかりしていたが、年が離れた姉のおっこには甘えん坊だった。普段はおっこの顔を見ると、宿題やってとか、おやつ一緒に食べようとか言ってくるのに、今日に限ってぼんやりしている。何か変だなと思いながらも、そっとしておいた。それから、普段通りに学校に行くが、帰ってくるとしょんぼりしている日々が続いて、やがて夏休みがやってきた。
 夏休みになっても、どこにも出かけようとしないあっくんを見て、おっこはどこかに連れ出そうと思った。二人で出かけて、ちょこっと遊べて、ちょこっと話ができるところはないかと考えて、おっこは澤の金魚屋のことを思い出した。そして、おにぎりを作り、あっくんを連れて澤の金魚屋に出かけた。
 最初に金魚すくいをやった。昔取った杵柄で、金魚を大量につかまえて見せようかとも思ったが、大人げないのでやめた。下手くそなあっくんの手を取って、お姉さんらしく教えてあげた。元気のなかったあっくんも楽しそうだった。そのあと養殖用の水槽をゆっくり見て回って、四阿で二人で寝転がった。夏空に白い雲がたくさん浮かんでいた。あれはソフトクリーム、あれは鯨と、二人で雲の形が何に似ているか話して笑った。そうして話が途切れた時、あっくんがぽつんと言った。
「姉ちゃん。どうして人は意地悪するんだろう?」
「あっくん、誰かにいじめられているの?」
おっこはそんなに驚きはしなかった。子どもなんて邪悪な生き物だから、いつの時代にもいじめはある。話してさえくれれば、解決策はあるはずだ、とおっこは思っていた。
「ううん。僕がいじめられているわけじゃないけど。」とあっくんは話し始めた。
 知的障害のある特別支援クラスの子どもたちが、交流のために1週間に1度やってくる。先生たちの目の届くところでは、みんな仲良くするが、そうでないところでは、無視したり、笑いものにして、からかったりする。それが嫌なのに、自分は見て見ぬふりをしている。そんな自分が嫌だ。でも、そのうちにそんな思いを抱えさせる、支援クラスの子たちとの交流なんてなければいいのに、と思ってしまう。そうしてまた、そんな自分が嫌になる。なんとも複雑で鬱屈した思いがあっくんの中にあるということに驚いた。それでずっと元気がなかったのか。おっこは、とりあえずいじめの標的があっくんでないことに安堵した。
「姉ちゃんならどうする?」とあっくんが聞いた。
「ううん……」おっこは答えあぐねた。そして言った。
「いじめを見ていて、知らん顔をするのは、一緒にいじめをするのと同じことらしい。でもいじめグループに立ち向かうなんて怖くてできないよね。」
「うん。」
「支援クラスの子たちは、すごくつらそうなの?」
「いじめられている、ばかにされているって、わかっているのかなあ、と思うこともあるよ。でも、意地悪な気持ちって伝わるでしょ?」
「そうだね。」
 あれこれ考えはしたが、いじめの対象が支援クラスの子どもたちということで、これはあっくんがどうこうするということではなくて、親の方から先生に伝えてもらうのがいいだろうということで、ひとまず落ち着いた。
 悩みがうまく解決できたわけではないが、とりあえず、思いを吐き出すことができて、あっくんの表情は少しほっとしているようだった。それを見ておっこも安心し、二人で家に帰ることにした。
 四阿から木々の茂みを抜け、金魚の養殖用の池の間を抜け、以前と同じように熊の檻を覗いた。ところが熊はいなくなっていた。
 どうしたんだろう? 熊、死んじゃったのかな。

 その後おっこの親は上手に先生に伝えたらしく、2学期以降の交流会では、先生たちは以前より細やかに子どもたちの様子を見るようになり、いじめグループが支援クラスの子たちをからかったりする隙がなくなったということだった。あっくんも元気をとりもどした。それはよかったのだが、久しぶりの澤の金魚屋での、熊の不在はおっこの心に重くのしかかった。

 あの熊はどうして金魚屋に来たのか。四方はコンクリートの壁で、上を見るしかない。上を見れば、いつもそこに人間たちの顔が物珍しそうにこちらを覗き込んでいる。夜は月が顔を出す。月だけが熊の友だち。そんな日を何日も何日も続けて、いつ終わりがくるのか、わからない。言葉にはできなくても、どんなにあの穴から抜け出したいと願ったことだろう。そんなことをおっこは思った。
 また小学生の自分はなぜあの時、熊をかわいそうと思わなかったのかと考えた。それが不思議だった。今思い出して、こんなにあの熊を不憫に感じて切ないのに。他者、または他の存在に対する思いやりの心は、決して生まれながらに備わっているのではなく、こうして年月を重ねて身に付けていくものなのかと、高校生のおっこはそんなことに気付いたのだ。

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