自分史的なクリッピング史料

今、「ゴールデンカムイ」が絶賛上映中だ。まだ観ていないけど、是非映画館に足を運びたいと思う作品。そうした背景もあって掲載された記事でもあると思うけど、なかなか興味深い内容だったので、今日はそれを取り上げてみたい。

2024年1月19日 朝日 アイヌ女性の願い 1世紀越え映画に
「亡びゆくもの・・・・それは今の私たちの名」

これも映画の話。口承のアイヌ民族の叙事詩「カムイユーカラ」の出版に尽力した女性がモデルの映画「カムイのうた」が今月一般公開されると冒頭でお知らせ。主人公の女性は19歳で急逝し、その生きざまが映像化された。

映画の舞台は大正期の北海道。アイヌの主人公テルは勉強ができたために高等女学校を受験したものの、出自から不合格に。更にアイヌで初めて入学した女子職業学校でも土人とさげすまされたと記されている。何なんだろう、この差別は。今じゃ有り得ない。ある日、東京から来たアイヌ言語研究者に勧められて、ユーカラを記録するようになったとある。ここで日本語への翻訳能力が認められ、本格的な出版を目指し東京へと赴く。

テルのモデルは知里幸恵。アイヌの神が語る「ユーカラ」の13編について、ローマ字でアイヌ語の発音を起こし日本語に訳した。知里幸恵は心臓まひで19歳の若さで没した。翌年に出版された「アイヌ神謡集」は今でも読み継がれているというらしいが、生憎目にしたことはない。100分de名著でも一昨年とりあげられているしその関心がどどまることはないのだろう。アイヌは固有の文字を持たないとの記載があるので、口承による文化の継承という様子は題材として学ぶべきものがあると思う。
知里の序文が「亡びゆくもの・・・」と憂え、文化、言葉の消失を危ぶんだとあるので、当事者としての思いの強さが窺われる。

「ゴールデンカムイ」によってアイヌの文化への関心は高まっていると思う
が、この映画では差別の歴史にも焦点を当てている。和人への同化政策、民族の言葉や習慣、狩猟の禁止等々、アイヌ文化を上書きしているさまを映画にしなくてはと(映画)監督は考えたらしい。

まったく地方性を持たない自分にとっては、固有の文化だったり、意識を持つこともないし、あからさまに差別を感じたこともないという立場からこうした事実をどのように捉えたら良いのかという思いがある。それでも家内の実家・青森に赴いた当初は、津軽弁は全く理解できず、コミュニケーションといのは成立するのだろうか?と強く思った。勿論こうして取り上げること自体、こうした事実には大きな関心があるし、大きな意味で「差別」に関心が向く(としか言えない)。

アイヌの儀式の撮影依頼をしたのは、大雪山系のふもと、今では「写真の町」として有名な北海道東川町。「写真甲子園」などが開催されていること、移住者も多いこと等、メディアでも度々取り上げられている地域。町はふるさと納税で約2億5千万円を集め映画の製作費にあてたというのだから、こうした文化・伝承のコストの一部が詳らかにされる。無論回収もあるのだけど・・・。

町はその後、学習指導要領に基づく教材への登録を目指すとされている。更に映画は多言語化し、世界各国での上映を目指す。1月26日以降、東京でも上映されるとのことなので、機会があれば鑑賞できればと思う。

民俗学的なアプローチは今では隙間的に見られがちかも知れないけど、とても重要なものではないか。戦争体験など、一定の時期の歴史に焦点が当てられるのは至極当然として、歴史的な継続的な事象の変遷に関心を寄せることは非常に大事だ。方言でもそうだけど、言語の消滅というのはひとえに大きな事象だと思うから。江戸開城において、西郷どんと勝海舟はどんな言葉で会話を行ったのだろうか。江戸詰めの藩士による通訳が介在したのかも知れないけど、各地に残しておきたい言語があるのかなぁと思う。津軽弁も理解がもっと進めばと願うばかり。

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