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まだ行ってない韓国旅行地🇰🇷宗廟

前回書いた부석사が思ったり満足行かず、今回は気合入れて調べて書こうと思います。今回は

종묘(宗廟)について書こうと思います

※いつも通り、この地には行っていません。行き方などは各サイトの情報です。写真ないです💦

所在地 서울시 종로구 종로157
            ソウル市鐘路区鐘路157

地下鉄1、3、5号選の종로삼가역(チョンロサムガ駅)から行けるようです。

まず종묘(宗廟)って何?となった方。わたしも初めは全く分かりませんでした。逆になんか複雑なイメージで本も難しい単語が多く、心折れかけてました😂

종묘(宗廟)は朝鮮時代の王、王妃、功労の位牌が保管されている祖先祭祀場です。

朝鮮王朝は朝鮮を建国した태조(太祖)から순종(純宗)まで約500年間、27名の王が統治しました。
この태조や순종は王の名前ではなく、この종묘(宗廟)の霊廟に付ける称号で묘호(王のおくりな)になります。難しい!!!!

王にはそれぞれ本名があり、태조(太祖)は이성계(李成桂)が本名です。ハングルを作った、세종(世宗)も本名は이도です。王が亡くなったのちに묘호(王のおくりな)を決めて종묘(宗廟)におさめました。

この際、王のおくりなには、조(祖)か종(宗)が付けました。歴代王の表を見ると、確かに영조(英祖)や철종(哲宗)など必ずどちらかの文字が付いていました。
조(祖)が付いている王は、大きな功績を残した王で、종(宗)が付いている王は、徳が多い王に付きました。

第10代王の연산군(燕山君)と第15代王の광해군(光海君)に付いてないのは、彼らは王位から追い出され廃位したため、종묘(宗廟)に祀られていないので、王のおくりなが無いのです。

この종묘(宗廟)は朝鮮王朝を建国した태조(太祖)の時代に、国を建てた始祖とその4代祖先を祀るところから始まりました。오묘제という制度から始まったもので、造られた時は、태조(太祖)とその祖先の목조、익조、도조、환조だったのが、500年ほどの歳月と共に、保管する位牌が増えていったため、増築に増築をして今の姿になりました。本には「歳月が造った美術品」との事。

종묘(宗廟)は2つに分かれています。1つ目정전(正殿)には19名の王と30名の王妃が祀られています。増築の結果、横に109m(101mと書いたサイトもあり)と韓国国内一の長さの木造建築物です。
태조(太祖)もここに祀られています。

もう1つの영녕전(永寧殿)には15名の王と17名の王妃が祀られています。정전(正殿)より若干小さめだそうです。

どちらの建物にも악공청(楽工庁)という定期的に行われた종묘제례악(宗廟祭礼楽)という祭祀の時の演奏隊が待機や準備をする空間があります。現在は柱のみが残っている様です。
その他、王が定期的に行う祭祀の為の王用の居住場も別途ある様です。

この종묘(宗廟)は1592年の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に破壊され、1608年に再建されました。
1995年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。
毎年5月に行われる종묘제례(宗廟祭礼)では王族の末裔が行う祭祀で、韓国の重要無形文化財にも登録、ユネスコ人類無形文化遺産にも登録されています。先程書いた、楽器隊の종묘제례악(宗廟祭礼楽)もユネスコ人類無形文化遺産に登録されています。

종묘(宗廟)の気になるスポット!

정전(正殿)と영녕전(永寧殿)はマストですね。わたしはTwitterで公式の종묘をフォローしているのですが、赤く厳粛な雰囲気の宗廟と雪景色が見応えありそうです。行くならわたしは冬に行きたいです☃️

あとは外門から続く삼로(三路)も見てみたいです。横に石段が3つ並んだ石道が、신문(神門)まで続いているそうです。この石段3つのうち、真ん中は신로(神様が通る道)で少し段が高いそうです。
右が어로(王が通る道)、左が세자로(世子が通る道)になります。신문(神門)にも同様で階段が3つあり用途は同じです。

종묘の前に、하마비というものがあります。漢字で書くと下馬碑🐎です。通り過ぎる時は必ず馬から降りてから、の碑です。これも何気に見たいです。

ソウルに行ったことがある方ならお馴染みの종묘(宗廟)ですが、わたしはまだ行っていないのでその壮大さ、厳粛さは分かりませんが、その厳粛さの中に描かれた模様や碑から王の偉大さが感じ取れるよう、訪れる前にもう一度勉強してから行きたいです。

今回も黒い文字ばかりで申し訳ないですが、ここまで読んで頂きありがとうございます😊

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