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【育児ログ】産後の入院から退院まで【生後すぐ~約5日】

みなさまお久しぶりです。
気づけば春になりましたね(気取りも恋もしませんでしたが)。
育児の記録を書こう書こうと思っていたものの、時間や睡魔に追われてなかなか書けず、あれよあれよという間に子は10か月になってしまいました。

思い出すと一番メンタルがぶれぶれだった産後すぐ。
思うままに睡眠をとれない生活に、涙があふれでてしまうことがたびたびありました。そんな時期を振り返っての記録です。

1日目

出産後の病院での滞在期間は出産当日含んで5日間。
AM1時に産もうと、PM11時に産もうと滞在期間は同じ。
早めの時間に産んだほうが回復期間取れるよ~といつかの妊婦健診時に助産師さんに言われたが、選べるものなら選びたいわい。
産後~1日目の午後まで、子はナースステーションで看護師さんに見守られており、これが最後のひとり時間だった。

1日目。朝、まずは産後診察を受ける。
妊婦健診を受けていた診察室に移動するのだが、歩くたびに股がずきずきと痛む。とくに異常はなく、来た道をずるずると戻った。
部屋に戻ると助産師さんがやってきて1日のスケジュールを説明される。
起き上がろうとすると、股に重心がかかって痛みが続くので、話に集中できない。助産師さんから、部屋の片隅の円座クッションを渡され敷いてみると、痛みが和らいだ。

昼食が終わると、いよいよ子が新生児ベッド(コット)に乗せられてやってきた。肌着の上にバスタオルでくるまれて、チューリップみたいだった。

チューリップみたい

助産師さんに教えられながら、授乳とおむつ替えをしてみる。
足りなさそうだったらミルクを足す。その量10ml。
飲み残しか、と思われるような小さな量を作っても、子は飲んだり飲まなかったりする。おなかがいっぱいだから飲まないのか、と思っても1時間後に泣き出すので、この生き物はなんなのだと不思議でしかたない。

完全に母乳のみで育児させる病院もあるが、私の入院していた病院は
1.母乳のみで育てたい
2.基本母乳で足りなければミルクを足したい
3.ミルクのみで育てたい
のどれにするかを事前に選ぶ対応をとっていた。
私はとくにこだわりもなく、2.を選んだ。今でもこの選択が自分には合っていたと思う。自分が出かけるときは夫がミルクor搾乳したものを飲ませていたので、フレキシブルに動くことができた。

  赤ちゃんが泣く→おむつ交換→手を洗う
  →胸をマッサージ→授乳→足りなければミルク
  →げっぷさせる→おむつが濡れていれば交換
  →手を洗う→寝かしつけ。
  何時に何をしたかを、哺乳カードに記録する。

これが一連の流れになるが、なかなかうまくいかない。
授乳後のげっぷが出ない。横にしているときにげっぷしたら、のどに詰まってうまく呼吸ができなくなるんじゃないかと不安で背中をさするが、出ない。とりあえず傾斜をつけて横抱きにする。すると手がふさがって次泣き出すまで抱えておくことになる。

何度さすっても出ないね

げっぷが上手くいったとしても、おむつ交換して手を洗って寝かしつけようとすると、またおむつが濡れている。
子もお腹が満たされて寝そうな感じだが、ここでおむつ替えをすると覚醒して、んぎゃあと泣き出す。排泄後、おなかがすっきりして、また飲みたそうな声を上げるので授乳。げっぷで吐き戻して服が汚れてしまった・・・と、ひたすら保育器と洗面所を往復する。

慣れてくると、「3分くらいげっぷさせようとしたけど出ないなら仕方ない」「おしっこだけならおむつ替えなくても大丈夫そう」と加減がわかってくるが、序盤はどの程度なら死なないか、清潔レベルを保てばいいのかがわからずとても苦労した。

シャワーを浴びるとき以外は基本自室で子の様子を見ているが、夕食を食べているときに泣き出せば、しばらくは食べられず、どんどんごはんが冷めていく。
来客なし、話し相手なしのこの状況で、唯一の楽しみのごはんも満足に食べられないのがじわじわとストレスになった。

産後の翌日は、同室で過ごすか、当日と同じように選べたが、たった半日いっしょに過ごすだけでへとへとになったので、その日は預けることにした。
預けられなかったら、ますます疲弊していたと思うので、別々に寝られたおかげで少しは体力を回復できた。


2日目

朝7時にナースステーションに子を迎えに行って9時まで過ごす。傷口を縫合しているので、湯船には入れずシャワーのみのせいか、体がだるい。
この日の午前はミルクの作り方についてメーカーからの説明、沐浴の見学。ナースステーションへ子を預け、集合場所へ向かう。
同じ日に出産した人がいっせいに集まって見学だった。私含めてみんなゾンビのようによろよろと入室する。
満月の影響なのか、普段より出産が多く、椅子が足りない。円座クッション付の椅子から埋まっていった。

見学終了後はフリーの時間。
助産師さんや看護師さんが2時間に1回程度のタイミングで部屋にやってきてタオルや哺乳瓶などの交換、困っていることがないか確認しにきてくれる。
コットの中に子を戻すとすぐに泣いてしまうだとか、胸が張ってつらいことを相談すると、親身に教えてくれたり、わからない場合はほかの人に確認して対応策を聞いてくれた。

子が泣き出したら、一連の流れに加えて母乳での育児が軌道に乗っているかどうか確認のため、飲む前後の体重測定も加わった。
おむつを替えた後体重を測るため、部屋を出て近くの体重計まで連れて行くのが、産後で消耗した体にはちょっときつかった。

夕食はお祝い膳。夫と久しぶりに一緒に食べる。
授乳の影響か、ぺろりと完食。

グラスの中身はぶどうジュース!

この日からは夜も同室になる。
21時にミルクをあげて私も寝た。ミルクは腹持ちがいいといわれているので、3時間ほど寝られると期待したが、22時に起こされた。その後は0時、1時、2時、3時、4時と毎時間起こされた。最初の1.2回はまたかとそう気にすることなく、布団から起きて授乳とおむつ替えを終わらせたが、3回目以降はもう勘弁してくれ・・・と思うようになる。布団に入って30分寝られればいいほうで、すぐ起こされる。睡眠が大好きな私にとって、眠りを妨げられることほどつらいことはない。

4時半に、子の状態を確認するため、ナースステーションへ連れていくと、毎時間の授乳とおむつ替えの記録を見た助産師さんから、「いったん9時まで預かりますからゆっくり寝てください」と言われほっとした。私の顔色が悪かったのかもしれない。
3時間ほどまとまって寝て、ゆっくり朝食を取ることができたが、また子と同室が始まるのかと思うと、ナースステーションへ行くことが憂鬱だった。


3日目

朝、退院前の診察を受ける。異常なし。
妊娠期間中(約10か月)で見慣れた内診台ともお別れである。

この日の午前は助産師さんの指導のもと、実際に子を沐浴させた。
肌着のひもを解いて、おむつをとって、沐浴布をかぶせて・・・と昨日見学した内容を頭に思い浮かべながら子に触れる。
気持ちよく寝ていたところを起こされ、子、ふえぇぇんと泣き出す。
お湯の中で、手足をじたばたさせるので子の体が揺れて不安定になり、すごく焦る。が、お風呂が好きなのかすぐに大人しくなった。
泡をつけて優しく全身を洗い、お湯をかける。お湯からあがるとまた泣き出した。全身の保湿と、肌着を着せて、耳鼻掃除。
少しの時間で朝からどっと疲れたが、今日もこれから同室。
言ってしまえば、おそらく成人するぐらいまでは一緒なのだ。降りられないジェットコースタ―に乗った気分だった。

泣いたら、おむつを替えて授乳して、また寝かせる。体重も測る。
徐々にこのサイクルに慣れてきたと思ったら、なかなか寝ないターン。
しかも昼食が運ばれてきたタイミング。
食器回収の時間ギリギリに寝たので、急いで口の中にかきこむ。
昼食時に夕食のご飯量と、夜食がいるかアンケート用紙が盆に乗っている。
夜食を頼むと、夕食時におにぎりが別皿で運ばれる。


いくらたべてもおなかがすく

とかく授乳はおなかが減る。夜中に何度も授乳したら、朝の4時くらいからお腹がすいてしょうがない。2日目の夜は頼まなかったことで、早朝に尾長ペコペコだったので、3日目からは頼むことにした。
そんな夜明けに食べるおにぎりは、険しい山を登り切って、景色を見ながら食べたあのときのようにおいしいのだ。

この日は夜23時まで毎時間起こされた。
前日同様このまま朝まで毎回起こされるのかとぞっとする思いで布団に入ると、この日は2回起こされるにとどまった。
が、泣いていないのに様子が気になってふと目が覚める。
息をしているか、口元に顔を寄せて確認し、また布団に戻る。
疲れているはずなのに、次にいつ起こされるかわからない恐怖で、布団に入ってもなかなか寝付けなかった。なかなか熟睡できない日が、産後すぐから続いて、今でも正直終わりが見えない。

4日目(退院)

ついに退院の日だ。午前中に退院するので、ばたばたと荷物をまとめる。
子が体重測定と黄疸チェックを受ける。
新生児は出生後、むくみや汗でいったん体重が減る。
母乳やミルクで徐々に体重が増えているかどうか、極端に減っていないかを確認される。

生まれたばかりの赤ちゃんは、おっぱいやミルクをまだ上手に飲めません。そのため、飲む量よりもおしっこやうんち、汗などで出て行く水分量のほうが多くなり、一時的に体重が減ってしまうのです。また、体内のむくみが減少することも要因の一つです。

【新生児の生理的体重減少】計算式は?なぜ体重が減るの? - こそだてハック (192abc.com)

さいわい、1日目に減った体重は徐々に戻ってきていた。
黄疸に関しても、とくに問題はなし。

休日のため、夫が朝からやってきた。二人で部屋を片付ける。
各社からのお祝いという名の試供品&パンフレットの山を手提げ袋に入れるとずっしりと重い。勘弁してくれ。

子は今まで病院から支給される肌着を着ていたが、退院時には返却する必要がある。はじめて親が用意する洋服、それが退院着だ。
セレモニードレスともいわれるが、ネットを検索すれば数万円するものが出てくる。生後1か月の際に神社を訪れる行事(お宮参り)ぐらいしかのちに着る機会がないので、中古ショップで購入し念入りに洗濯し準備した。

併せて持参した肌着と一緒に着せると、うーん似合わない。普通の肌着のほうがしっくりくる。
おさるさんがひとむかし前の人間の仮装をしているようだった。
甥っ子が持っていたおさるのジョージが脳裏に浮かぶ。

夫に子を任せて、私は受付で出産・入院費用を精算する。
これまでの面会時におむつの替え方、ミルクの作り方をレクチャーして一緒にやってみせたので、とくだん心配はなかった。
費用について、出産育児一時金(42万円)を差し引いて、およそ4万円程の手出し。予想はしてたが、平日の経膣分娩でもこのくらいかかるのか。
通院のときの手出しと、交通費と、この差額は地味に痛い出費だ。
病気じゃないから保険適用外、ってなんやねん。

部屋に戻ると、夫が子を抱いてゆらゆら揺れていた。にたーっと笑いながら子を見つめている。私といえばそんな時期は1日目でとうに終わってしまったので、夫に過去の自分を見るような気持ちになった。
これから、しんどいぞ。いつまでその気持ちが続くかな、なんて思っていた。

入院時に持ち込んだ荷物は夫に持ってもらい、私は子を抱いて病院の外へ出る。
定期健診待ちの妊婦さんを見て、ここでも過去の自分を思い出していた。
ふくらんだお腹で見えなかった床は、今は子を抱えて見えない状態になった。引っ込んだおなかとおくるみにくるまれた子を見て、本当に別々になってしまったんだと実感する。

外へ出ると、久々に日の光を直に浴びた。天気はくもりで、気温はぬるい。
おさがりのチャイルドシートに子を乗せる。ぶかぶかだ。
まずは夫の実家へ向かう。新生児から使えるチャイルドシートらしいが、おくるみでくるんだ状態でシートベルトを締めても、まだまだスペースに余裕がある。今までは夫が運転席、私が助手席にいたが、子を産んでからは、後部座席にチャイルドシートを設置し、どちらかは後ろで様子を見たりあやしたりするので、隣同士に座ることは今ではほぼない。

夫の実家へは院から車で10分ほどで着いた。
いつもは家じゅうをうろうろしている柴犬も、今日はゲージの中にいた。
義母にさっそくだっこしてもらう。さすが3児を育てただけあって抱っこが上手く、子も落ち着いているように見える。
お祝いをかねてお昼は出前のお寿司だった。
妊娠中に刺身やお寿司を食べることはあったが、どこか後ろめたい気持ちが若干あった。産後はためらいもなく寿司をほおばることができてうれしい。

お寿司大好き!

おむつを替えて授乳しておむつを替えて・・・を何ターンか繰り返し、落ち着いたタイミングで私の実家へと向かった。

コロナで面会ができず、写真だけだった孫の存在を見て、両親はたいそう喜んでいた。
両親も抱っこが板についている。(首が座っていないこともあり、当時の私と夫は相当ぎこちなく抱いていたと思う)

実家に2週間ほど滞在する予定だったので、夫が車に積み込んでいた荷物を運びこんだ。
リビングには子が寝るための布団が置かれ、両親による準備は万全だった。

移動で疲れたため、さっそく私だけ別の部屋で寝させてもらおうとするが、
子が泣いて授乳が必要だと判断されるたび起こされて、まったく眠ることができなかった。

病院では哺乳瓶の洗浄や、使用済おむつの処分などをやってもらっていたが、実家では自分でしなければならず、その移動も産後の体ではちょっと面倒だった。

夕飯を食べた後、自宅へ帰る夫を見送る。
実家に里帰りしているこの2週間の中、少しでも体を回復させてもらおうと思っていたが、実際はそう上手くいかなかった。
実家での里帰りについてのログは、また次回。

ここまでお読みいただきありがとうございました。



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