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小説を書く。その10【BL小説】

 よかった、今日も会えた。
 毎朝の憂鬱な満員電車をなんとかやり過ごせるのは、彼に会えるからだ。
 いつも細身のスーツをばしっと着こなして、背筋をぴんと伸ばして。いかにもビジネスマンって格好なのに、くるんとした愛らしい瞳が、全体的に彼を幼く見せている。
 は〜可愛い。たまらん。
 
 彼に初めて会ったのは、一ヶ月ほど前だろうか。ホームの混雑の中でも一際目立つ存在だった。
 今にも折れそうな華奢な体つき。可憐な佇まい。 
 守ってあげたい、と思ってしまう。

 もっと彼のことが知りたい。
 声が聴きたい。

 それって、やっぱり彼にとっては迷惑なんだろうか。
 一度、用もないのに彼の降りる駅で電車を降りて、見知らぬ街をうろついたことがある。
 偶然、会えたりしないかな、なんて。
 ストーカーかよ。って自分で自分を諌めて、一度だけでやめたけど。

 あれ?
 彼の真後ろに立ってるヤツ……こないだもあそこにいたな。俺だってまだあんな近距離に行ったことないのに。
 気のせいか、彼の顔が赤い。困ったように眉を寄せて、長い前髪に顔を隠した。
 まさか……痴漢?
 
 俺は居てもたってもいられず、満員電車の人混みをかきわけ、彼の方へと向かった。
「――おい。お前何してるんだ」
 これでも学生時代はハンドボールに明け暮れていたので、握力には自信がある。 
「いてててて、離せよおいっ」
「手を離すのはお前の方だろ。その人から離れろ」
 ぎろりと睨むと、相手は気圧されたように体をすくめた。

「――ありがとう。助かったよ」
 涼やかな声で、彼が俺に笑いかけた。

 電車を降りて、加害者が駅員に連れて行かれた後。彼と二人きりだ。上下線とも電車は出発したばかりで、あたりには誰もいない。
 
 うわ、綺麗な顔。ぱっちりした目元に長い睫毛。すっと通った鼻筋に、ぷっくりした紅い唇。どれをとっても俺の理想通りだ。
 ああ、こんなに可憐で可愛いから狙われるのは仕方ないけど、嫌だったろうな。俺が助けられてよかった。

「あんなクソでも何かの役に立つもんだな。あんたが来てくれるなんて」

 ん? 
 
 なんか……何ていうか……今は、さっき痴漢にあって、精神的ショックを受けてる彼を俺が優しく受け止めるっていうシチュエーションじゃないのかな?

 改めて彼の顔に視線を向ける。
 そこには予想していたようなはにかんだ微笑みではなく、勝ち誇ったような歪んだ笑顔があった。
 それなのに。
 美しい、と思ってしまった。

「あんたのことは前から目をつけてたんだ」
 と、思いがけない言葉が飛び出た。
「家も勤め先も調べがついてる。だから電車もこっちに変えたんだ」
 
 え、あれ、それって……。

 俺がストーカーされてたってこと!?

「じゃあ、そういうことだから。これからよろしくな」
 
 そう言うと、彼は爽やかな笑顔を残し、去っていった。
 よろしくって、どういう……。

 狐に化かされたような気分になり、俺はしばらくその場から動けなかった。





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