ソールライター展で写真について考えた話
こんにちは、Shihoです。
お久しぶりですね。段々と春らしくなり、トレンチコートでも過ごしやすい気温になってきました。ということで、前回の記事の宣言した通り、今日からまたぼちぼちと書いていきたいと思います。
更新のなかったこの数週間は、本を読んだり、美術展に行ったりと、noteに感想を書きたいことが沢山ありましたので、ゆっくりと整理して行きたいと思います。
さて、今回は現在も京都で行われている「永遠のソール・ライター展」へ行ってきた感想です。
何か関西でやっている美術展はないかネットで調べている時に、偶然見つけたこの美術展。ソール・ライターという聞いたことがない名前でしたが、彼の出身地がわたしが学生時代に留学していたピッツバーグということが判明し、どこか運命のようなものを感じて、早速見に行ってきました。
ソール・ライターについて
ソール・ライターは1923年に、ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれました。ピッツバーグは、他にもアンディ・ウォーホールといった有名な芸術家を輩出している場所です。
ユダヤ教の聖職者の父親の元に生まれた彼は、神学校に通っていた優秀な学生でしたが、厳しい規律・倫理観に反発するように、芸術の道へと進むようになります。
そして、その芸術の道というのは、「写真」ではなく、「画家」としての道。彼は1946年、学校を中退し、23歳の時にその道を本格的に歩くことを決意し、親の理解を得られないまま、ニューヨークへと乗り込むのです。
単身乗り込んだニューヨーク。戦後の街で、抽象表現主義の画家リチャード・プセット=ダートと出会います。ちなみに、彼の作品はこんな感じ。
Desert(1940)
彼との出会いが、ソール・ライターの写真に影響を与えました。そのことは、リチャード・プセット=ダートが撮った写真をみると理解しやすいかも知れません。
Mark Rothko( 1950)
何も知らないまま、この写真を見せられたら「あ、ソール・ライターが撮った写真?」と思ってしまいそうです。
さて、画家としての道を志すものの、それで生計を立てていくのは難しいと知るソールライター。そんな彼を救ったのが、写真でした。
彼の写真に興味を持っていた人物が、ファッション雑誌の表紙に彼の写真を使うようになったのです。以降、彼は『ELLE』や『ヴォーグ』といった今でも有名なファッション雑誌で、写真家として活躍。ついにニューヨーク5番街に事務所を構えるまでに成長していきます。
しかし、時代の流れと共に、もともとファッション雑誌に特に興味のなかった彼は1981年、事務所をたたみ、表舞台から姿を隠します。
彼の写真が再発見される契機となったのは、それから約10年後。1994年、イギリスの写真感材メーカーが、40年代後半から50年代に撮られたカラー写真たちを現像し、展示会を開いたのです。
そこで、ソールライターの写真が再び表舞台に現れ、再び注目を集めました。その後、2006年にドイツのシュタイデル社から、写真集『EarlyColor』が出版されたことにより、彼は再度大衆に知られることとなったのです。
その時の年齢、なんと80歳。
2013年にこの世を去ったソールライターですが、その後スタジオとしていたアパートには、未だに世の中に公開されていない作品が眠っていたことが分かり、ソールライター財団はこの作品たちのアーカイブ化を目指して活動を続けています。
そんなソールライターの写真を見ることができるのが、今回の展示会なのです。
鮮やかな「傘」
美術展を見終わって振り返ってみると、やはり印象に残っているのは、世間に衝撃を与えたカラー写真。美術展の構成自体、モノクロ写真から、カラー写真の展示に移っていくものだったので、まるで当時の衝撃を追体験しているような気持ちになりました。
ニューヨークの日常を切り取った写真たちは、それはそれは見ているだけでうっとりしてしまいますが、その中で特に印象に残ったのは「傘」です。
赤い傘( 1958年頃)
地面に雪が降り積っているため、曇ったガラスとの境界線がぼやけ、まるで一色塗りの背景が出来上がっているかのよう。だからこそ、赤い傘が一輪の花のようにより鮮明に見えて、とても綺麗だなあ、と感動していました。
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それと同時に、なんだかこんな写真を、どこかで見たことがあると思い、わたしのスマホから見つけたのが、こちら。
使い捨てカメラで写真を撮るのにハマっていた時の写真です。
一昨年の夏、雨が降る夜の京都・五条橋の上で撮影しました。ほぼ明かりがなく、フラッシュをたいて撮ったからか、黄色い傘だけがはっきりと目に飛び込んできませんか。
この写真を見た当時のわたしも、鮮やかな色彩にびっくりしていました。フィルム写真は現像する過程を挟むので、まるでタイムカプセルを開ける時のようなワクワクと、「こんな色が出てくるのか!」と驚きがあり、面白い。
そして何より、スマホのカメラでは出せない、フィルム写真の色合いが好きなので、今回のソール・ライター展では、そんな色の世界を、たっぷりと堪能できて、幸せでした。
また、彼について先ほど書いた時、抽象画家との出会いについて触れましたが、ソール・ライターの作品は、まるでひとつの絵を見ているかのような気持ちになるのは、そういった影響もあるのでは、と思いました。
「日常」を「発見する」
さて、この美術展を見に行った2月中旬、わたしの頭の中には色んなことが渦巻いていました。
1月から職場が異動になって、人間関係や環境が変わったことによるストレスなのか、それとも新年が始まってもう2ヶ月も経とうととしていることへのよく分からない焦りからなのか、頭にモヤがかかっている状態でした。
これはどうにかせねば、と思い、休日、ストレス発散に買い物へ繰り出してみるも、どうにも気持ちが晴れない。
好きな音楽を聞いても、なんだか煩わしい。誰かが作ったテンポに上手く乗れなくて、しんどい。Aメロ、Bメロ、サビ…と、前へ流れていく、その感じが疲れる。
そんな時、ソール・ライターの写真を見て、やっと一息つくことができたのです。
彼の撮った写真は、主にニューヨークが舞台です。都会の喧騒の中にも、ささやかな日常というものが存在しているということを、写真を通じて知ることができました。
今わたしが暮らしている大阪という街は、ニューヨークや東京と比べれば、ローカルな場所かもしれません。しかし、元々北海道の田舎育ちのわたしからしてみれば、とんでもない数の人がひしめき、生活している、大都市なのです。
そんな場所に移って、今年で3年目。特に昨年から続くコロナの影響もあってか、目に見える人の数や騒がしさは減った反面、目に見えない心のざわつきが、先の見えない現状もあって、増したように思います。
そんな中でも、ちゃんと「日常」というものは存在しているのではないか。ただそこに目を向けていなかっただけで、実は身近にあるのではないか。
ソール・ライターは写真を撮ることを「発見すること」と話していましたが、その写真を見るだけでも、こんな「発見」がありました。
京都の美術館「えき」KYOTOにて、3月28日までやっています。
機会があればぜひ!
今日はここまで。
参考
今回少し出てきた抽象画については、こちらの記事でも触れていますので、よろしければ。
会場で買ったソール・ライターの写真集も、眠れない夜になんとなく見返してしまうくらい素敵ですので、よければ。
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