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vol.1 浜松の「らしさ」を求めて

私が浜松に越してきたのは、2017年の夏のこと。自身の転職がきっかけだった。大学進学から15年間東京で暮らしてきた私は、33歳を迎えようとしていた。結婚適齢期の中にあっても、人生のキャリアステップを考えた時、以前から憧れていた地方で働くことにチャレンジしてみたいと考えていた。転職活動を始めてまもなく、長らく連絡をとっていなかった知人から、浜松の会社の紹介があった。まさに渡りに舟。これはまたとないチャンスと胸が熱くなった。

気づいた時には会社を辞め、下北沢の部屋を引き払い、重たいキャリーケースを抱えて浜松行きの新幹線に飛び乗っていた。

故郷とも住み慣れた東京ともまったく異なる環境での生活。就職先の会社はあっても、単身での移住は心細かった。そこでまずは自分のよりどころとなる場所を見つけようと駅周辺を散策することにした。


浜松のゆるキャラが駅前にいて、背後には高層マンションがそびえ建っていた。

ところが、駅周辺には高層ビルが建ち並び、百貨店を覗いてみてもテナントのほとんどは東京でも見たことがあるものばかりだった。駅前に鎮座する「出世大名家康君」像に家康と音楽の街という主張を感じたり、駅のコンコースにあるお土産コーナーや観光案内所で街のお店情報を目にしたりしても、心に留まるものは見当たらない。

GoogleMapで家の周辺を見ても、フランチャイズのコンビニやレストランの名前がパラパラと点在するのみ。一番近い「カフェ」は徒歩25分の「コメダ珈琲」(引っ越し当初は自動車免許を持っていなかった)。まあコメダならいいかと、何気なくその店舗をGoogleで検索すると、なんと数年前に店の駐車場で日本刀による傷害事件があったとのこと。とんでもない街に引っ越してきてしまったのではないかと愕然としたのだった。

浜松で始めるシンプルライフ

「幸せになるために、人生で必要なものは何か?」。そう問いかけるひとつの映画がある。『365日のシンプルライフ』(2013)だ。26歳の主人公が、もので溢れた部屋には幸せがないと、自分の持っているモノを一度「リセット」する”実験”をする。そのなかで、自分に必要なものは何か見つけていく物語である。すべての持ち物を倉庫に預け、1日にひとつだけ倉庫から持ち帰ることができる。彼はもの一つひとつの意味と価値を吟味しながら選ぶ暮らしを一年間続け、自分の価値観と向き合っていったのだ。

引っ越しによって暮らす環境をがらりと変えた私も、まさにリセットした状態。これからここで買うものがそのまま浜松での生活をつくることになる。だからこそ、浜松にしかないもの、浜松らしいもの、人との出会いを丁寧に見つけたいと思った。

浜松で借りた部屋は、駅から南側に位置するエリアにあった。浜松の人に聞くと、「駅南エリア」は治安が悪く(過去にいろいろあったらしい)、津波が来たら浸水するという理由で住むには敬遠されがちなのだという。とはいえ、勤める会社はそのエリアに位置しており、通勤に自転車を使う予定だった私は、会社から東へ川を上った場所に建つアパートに部屋を借りることにした。

東京から運び込んだ荷物は、一部屋にほぼ入りきるほどの量だった。

エレベーターなしの4階、2LDKで6.3万円。1Kで6.3万円だった東京のアパートから比べたら3倍以上の広さである。スーパーなどで確認する物価は安いとは感じなかったけれど、不動産価格は歴然の差だった。

引っ越した日は、6月30日。蒸し暑く、湿気が身体にじっとりとまとわりついた。周辺にはこのアパート以上に高い建物がなく、日当たりだけは最高だった。不動産屋さんに鍵を開けてもらい、部屋の窓を全開にした。その瞬間、生ぬるい湿気たっぷりの風がぼわっと吹き込んできた。窓から海を望むことはできないけれど、すぐそばに太平洋が果てしなく横たわっている。ここは海の街だということ、これまでとはまったく異なる環境で生活するということを、全身で感じたのだった。

遠州織物の鞄を探す

ありがたいことに、就職先の会社から引っ越し準備費用としていくらか支給されていた。引っ越し業者代、新幹線代を差し引いて、残りのお金をどのように使おうか。最初に思いついたのは、使う頻度の高い通勤用の鞄を新調することだった。自分への引っ越し祝いのつもりで。

遠州織物が有名であれば、きっと鞄も適当なものが見つかるに違いない。ところが、ネットで検索してもなかなか思うようには見つからなかった。百貨店にあった遠州特産のコーナーで遠州織物を用いた商品を見つけても自分の好みとは少しちがっていたり、遠州綿紬や浜松注染などの布製の工芸品を取り扱うお店では、年齢の高い人をターゲットに商品をセレクトしていたりするように感じられた。
まだほかにあるのではないのか。でもどこに?

そこで頼ったのは、街中にある洋服屋の店員さん。浜松の服飾関係の人にオススメを聞けば、きっとよい情報が得られるのではないかと思ったからだ。ところが店員さんは少し悩んだ後、イタリアの革製品ブランド「イルビゾンテ」浜松店を紹介してくれた。

その土地らしいモノを街の人は誇りをもっており、ふだん遣いをして生活に根付いているはず。街の人に聞けば、「浜松らしさ」に出合えると思っていた。ところが、簡単にはこの地域らしい居心地の良い場所や自分の感性に合う商品を見つけることはできそうになかった。地方暮らしに理想を抱いていた人間としては、なかなかにがっかりする体験だった。

まだ私が知らないだけだ。もっと行動範囲を広げながら徐々に浜松らしさを見つけていこう。その探索をライフワークとして行こう。それが私の新たな決意となった。

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