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vol.4 どこでどのように生きたいか?という問い

vol.1〜3までの記事で、地方都市の一つである浜松で編集者として働くことになるまでの経緯を、理想と現実との葛藤を含めつつ書いた。

では、そもそもなぜ地方で働きたかったのか。「ローカル」にこだわっていたのか。その理由は、私が過去に宇陀市で地域づくりを行う女性を取材した記事に詳しいので転載したい。記事の冒頭は当時の私の心境を書き写すことから始まっている。

10年前、一人の“純朴な”女子高生は、慣れ親しんだ北関東の地を離れた。東京に来ればなんでもあると信じて疑わなかった彼女は、地元ではなく東京の大学に進学し、ちいさなアパートでの一人暮らしを始めた。まちに出れば何もかもが目新しく、あるときは朝から晩まで体力の続く限り歩き、またあるときは友だちと一緒に朝で語っては始発で帰るという生活にドキドキした。「彼女」とは、もちろんこの私だ。いまでは立派なアラサー女子。10年も住めば、東京での生活にも慣れ、多くの友人知人に囲まれ充実した日々を過ごしている。けれど、このままずっと東京に住んでいたいか? と聞かれると、口ごもってしまうのが正直なところだ。美大で建築を学んだ後、景観デザイン系の雑誌編集に携わり、毎月かならず日本全国へ出張するという生活を6年間続けた。どのまちも魅力的だったし、そこで暮らす人たちとの心の交流を通じて、あらためて「地方で生きること」について考える機会にも恵まれた。そして20代を駆け抜け、ついにアラサーとなった今、この先私はどこでどんな風に生きていくのだろう? または生きていきたいのだろう? と自問自答の日々を送っている。

GROUNDSCAPE vol,2 2013春夏号

大阪市内から車で1時間半、たどりついたのは芳野川流域にある小さなまち。ここでまちづくりの活動を始めた女性がいるという。松田麻由子さん(31)だ。松田さんは、22歳で結婚、第一子を出産した後、大自然の中で子育てをしたいと、7年前に宇陀にIターン者として移住した。しかし住むことではじめて、まちが抱える課題に直面した。「田舎といえば、おすそ分け文化が残り、自然を存分に生活に取り込む暮らしをイメージしていたのですが、実際はまちに子どもの姿が見られず、何をしているのかと思えば家の中でゲーム。自然が豊かでも外で遊ぶ機会が少ない。これはなんかおかしいぞって。まちで人と出会い、コミュニケーションをとることの重要性を感じました」。そして彼女が選択したのは、取り壊される危機にあった築80年の旧郵便局を復活し、ワンデーシェフのレストランやセレクトショップを中心に、コミュニティスペースとして運営することだった。

同記事
吉野川沿いにある松田さんの活動拠点

取材当時私は29歳。大学院に進学したところで、まだまだ結婚や結婚後の生活について考える余裕のない時を過ごしていた。ただ、30歳を目前にして漠然と将来の不安を抱えていた。10年以上暮らしてきた東京ではあったが、このまま東京で結婚して家庭をもって子どもを育てながら仕事をするという未来に期待ができなかった。だからと言って、実家のある故郷に戻ることにもためらいがあった。「どこでどんな風に生きていきたいか?」と言う問いに対する答えには、このまま東京で、あるいは故郷に帰る以外の、何かオルタナティブな選択肢があるのではないか。ここではないどこかがあるはずだと夢見ていたのだと思う。

そんななか、少し年上の人生の先輩たちの選択を間近で見てきた。先の取材のように、地方移住をし、その地域の課題を見つけ、解決の糸口となると信じて様々なプロジェクトを立ち上げる人を、編集者の立場から何人も出会った。私が「地方で生きること」「地方で働くこと」に親近感や憧れ、新しい人生の選択肢を見出すようになった理由には、こうした地方取材やフィールドワークが深く起因していると言えると思う。

社会学者の宮内洋さんは、『“当事者”をめぐる社会学―調査での出会いを通して』の中で、「フィールドワークを行うものは、他者から話を真剣に聞き続ける中でも、フィールドワーカー自身がより一層、自分自身をも見つめることになる」と指摘している。私もその意味で松田さんのような移住女性を対象としたインタビューを通じて、自分と対話をしていたのだと思う。そして次第に地方移住へ期待を抱き、その意義と可能性を内面化していたのだ。


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