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自分らしく生きる旅に出て、私は王さまになる〜十二国記読書感想文〜


楽俊さま

朝晩と、だいぶ寒くなってきましたがお元気ですか?
大学の単位をもらえるよう昼夜問わず勉強に励むあなたが、この季節、体を冷やしていないか心配です。
でも半獣の楽俊は普段はネズミ姿で過ごしてるから、毛がふさふさで寒くはないのかな。

私は楽俊と出会ったおかげで、肩の力をぬいて、少しずつ自分らしく生きることができてる気がします。

きっとそれは、王さまになりつつあるから。

今日はそのお礼を伝えたくて、手紙を送ります。

あなたとの出会いは、十二国記の最初の物語「月の影 影の海」を読んだ時。
私はページをめくりながら主人公の陽子の旅を、彼女と一緒に歩んでいました。

高校生の陽子は、ある日恐ろしい獣に追われるようになり、突然十二国の世界に連れてこられました。
そこでも獣に襲われ続け、さらに助けてくれたと思った人に騙され、殺されそうになります。

人や獣から逃げるために夜道ばかり歩き続け、
「この世界に陽子の味方はいない」「自分がいかに独りか」
そう思うほどの旅。

道のりが暗いのはきっと夜歩いてるからだけでなく、誰も何も信用できない雨雲のような黒い疑う心が視界を覆っていたからだと思います。

そうしてあるとき、とうとう陽子は倒れてしまいます。

連日獣と戦い続け、怪我をして血を流し、人に見つからないように逃げ、食事も何日食べていないかも数えられないほど。
雨にも濡れ、もう指一本も動かせなくなってしまうくらいの、疲労。

倒れたのは疲労と、たぶん自分の持っているものの重さにも耐えきれなかったから。

それは、自己決定の重さ。
自分で考えて、自分で選び、自分で行動して、その後も「自分で決めたこと」として責任を負う、その重さ。

楽俊と出会うまでの陽子は、友だちや親に合わせて自分の言葉や行動を決めて、
自分の意見を出すことをせず、その場に合わせようとするあまり、
いつの間にか、自分の言動を他者に委ねることが普通になっていました。

でも、本当の自分は違う。
思ってることも、言いたいこともあった。
そういう自分のちぐはぐさに苦しさを感じていました。

そんな中、十二国に連れてこられ旅をする中、誰も頼れず寄りかかることもできず、
いきなり窮地で、初めて自分だけで考えて行動しなければいけない、
でもまだそれが未熟でそれゆえに、裏切りにあってしまう。
そして、自分で決めることの重さを支えきれず、倒れてしまったのではと思います。

今までして来なかったから、その自己決定の重さが今になってしんどい。

たぶん筋トレと同じで、日々少しずつ失敗したりうまくいったりしながら自己決定をしていくと、
それを背負う筋肉がついてくる。
それが積み重なって、大きな決断も背負える筋肉ができてくる。

でも陽子にはそれがなかった。
だから、重くて、立てなくて、倒れてしまう。

それを助けてくれたのが楽俊でした。

陽子は、これまでの経験から人を信じられず、楽俊にもいつ騙されるんだろうと疑う日々で、ついには楽俊に刃を向けようとするけれど、

楽俊と迷子になったことをきっかけに、
陽子は自分で考え、決める大切さを知り、人を信じる勇気を出します。

楽俊は、陽子をただ助けたかったから助けただけだと言います。
誰かが倒れてたら、そりゃ助けるに決まってるだろう、と。

助けたいと決めて、その結果陽子が楽俊を最後まで信じられなくても、
それは楽俊の問題。
陽子が楽俊を信じるのも信じないのも陽子の勝手で、その結果どうなっても、
それは陽子の問題。

楽俊のことは楽俊が決める。
だし、
陽子のことは陽子が決める。

楽俊はそんな風にして、「自分で決める大切さ」を陽子に伝えてくれたとき、
人を信じられず夜道ばかり歩き、真っ暗闇を進んでいた陽子の足元に、
柔らかい明かりが照らされたように私には感じました。

きっと陽子にとって楽俊は月なのだと思います。
はじめはその柔らかい明かりでも眩しすぎてちゃんと見れなかったけど、
月は陽子の足元を照らして、自分がいるところ、この先にはどんな道があるのか、周りには誰がいるのかを見せてくれました。

そして、陽子は十二のうちの1つの国の王になるかを、自分で考えていきます。

王になるかならないかを決めるのは陽子だけど、そのためには自分がどこに、どう立っているかを分かってないといけない。
だから足元を照らしてくれる人が必要。

私も同じです。
困ったとき、辛いとき、悩んだとき、いつも私の足元を照らしてくれる人たちがいます。
だから、がんばれる。
怖くても、自分で決めたことをやってみようと思える。

この物語でいう王になるということは、きっと、自分を生きるということ。
自分を生きるということは、選択や決定を委ねないで自分で決めるということ。
自分で決めるということは、人からの期待や評価を自分の価値にしないで、自分を信じること。

人生の中にあるたくさんの選択に悩み、迷い、決断していくことで、
より自分らしく生きる。
自分で、自分の行動を決めると、多分きっと、苦しくない。

そして王になることは、十二国に渡らなくてもできる。

自己決定するのは簡単なことじゃないし、
それに、自分で決められないとき、その理由は色々あると思います。

陽子のように自分の意思関係なく、周りの思惑で逃げ回らなければいけないようなことも、
期待に応えること以外の選択肢がない時も、あるかもしれない。

今この手紙を過去の私が読んだら、「もう自己決定ができてる人が言うこと」と思ってたかもしれない。
できてる人が言ってもね。私とは違うんだし、と。

物語の中で他国の王に陽子は、
「お前はお前自身の王であり、己自身であることの責任を知っている」と言われました。
でも、「自分は王さまの器じゃない、大層な人間じゃない」と言う陽子。

やっぱり、陽子と私は一緒だ。
みんな初めはだれも、自分の王さまの気質に気づけないのかもしれない。

でも、陽子は自身の王さまになることができた。楽俊がいたから。
私も少しずつできてると思う。周りの人が助けてくれるから。
一人ではできない。でも、誰かとならきっとできる。

どの国に生まれても。何をしてても。
自己決定権は、誰にでもある。
そしてそれをやろうとしていると見ててくれる月が、きっとある。

自己決定ができていないとき、特に大人になってからだと、
自分の王さまになるのはすごく大変で、勇気もいる。
自分で考えたことを発したり、やってみるなんめて、正直、怖いとも思う。

だから、もし私がまだ王さまになれていないな、と思ったときには、
まずは、小さな筋肉をつけるところからやろうと思います。

それは、自分の気持ちは自分が決める、ということ。
周りと意見が違っても。
ものの感じ方が違っても。
だってみんな、自分自身の王なのだから。

月は、自分が何を思ってるのか何を感じてるのかを教えてくれて、
小さな筋肉は、いずれ大きなものを背負うだけの土台となると思います。

陽子の王さまになる旅を進むのは、私であり、十二国記やこのnoteを読む誰かだ。
夜道を旅し、倒れ、助けられ、みんな自分の王になる。

そうして自分らしく、生きる。

私はこれからも王さまになるための、旅を続けていきます。
いつの日か楽俊に「すっかり王さまらしくなったじゃねえか」と言ってもらえるように。

楽俊の言葉がきっかけでようやく座りかけた王さまの椅子から、
私はもう降りることはないと思うけれど、迷ったり怖くなった時は、
また楽俊の言葉を思い出して背中を押してもらおうと思います。

いつもありがとう。
そして、これからもよろしくね。

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