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2019.4.1~2019.12.31 8ヶ月間のハガキ職人

以前、ハガキ職人をやっておりました。それは20歳のときでした。正確には、ハガキ職人と呼べるのかどうかもわかりません。8ヶ月というあまりにも短命な活動だったからです。パッと現れてパッと消えました。ハガキ職人の一発屋です。もうだいぶ前のことですし、ニッポン放送にしか投稿してなかったので、ラジオネームを覚えている人も少ないでしょう。「切断面からこんにちは」という名前でやっていました。最初はchelmicoとかトムブラウンの単発の番組に送ってました。そこから三四郎、佐久間、霜降り、オードリーと送るようになったのですが、死んでもやめんじゃねぇぞ!だけは1通も読まれませんでした。当時は下ネタが苦手だったからだと思います。あとピリオドチャンピンも全然読まれなかったです。共感力低すぎて、あるあるのなにが面白いのかわからんのです。

ときたま霜降りのホームページに残された自分の名前を見に行ってしまいます。それが、過去にすがりつく自分の弱さが浮き彫りになる瞬間です。

当時はまだ自分が一番面白いという絶対的な自信がありました。コーナーにネタを投稿し始めた週から何通か採用されて、もっと自分の存在を世界に打ちこみたいという気持ちが高まり、暴走しました。

そんな風にのめりこんでいったのですが、今思うと、たかだかラジオの中だけでなに頑張っちゃってんのって思います。でも、もしこれが漫画だったら、汗水流してるやつに、なに頑張っちゃってるのとか言いながらも、その姿に昔の自分を重ねて、もう一度頑張り始めて、結局短い期間内にブランクを埋められずそいつに負けるって流れですよね。そんな展開僕は絶対に嫌です。誰かの物語を彩る小話の1つに僕はなりたくありません。

でも、なにかに夢中になれてたあの時の自分の方が今の自分より輝いているのは確かです。いつまでもラジオという小さな集落の中で英雄気取りのやつがふんぞり返ってるのは気持ち悪い、って簡単に言えますけど、その地位にたどり着くまでの努力をできてないやつはそもそもくさす資格もありませんから、昔の自分ならもっと暴言を吐いてましたけど、今はこのくらいにしときます。これでも自制している方です。

さてさて、思い出話といきましょうか。ラジオ聴いてる方なら周知の事実ですが、コーナーのトリを飾るのはその週の中で一番狂ったメールであることが多いですよね。投稿し始めて1ヶ月経った頃くらいから僕はそこに選ばれることだけを目指しました。ラジオを聴いている人の中で一番狂ってるのは自分だと思いたかったのです。そうでもしなければこれまでの自分の人生はすべて否定されることになる気がしたからです。完全に被害妄想ですよね。自分をどうしても悲劇のヒロインにしたいからでしょうか。己が通ってきたのはただのいばらのみちではないと思いたかったのです。通常のプレイでは通ることのないバグまみれの道。バラから生えているのはトゲではなく、心を溶かす溶液を流し込む注射針でした。今だってそんな道を歩み続けている真っ最中で、人よりも苦労したことがたくさんあったし、これからもそれは変わらないような気がします。まあ全部自分のせいなんですけど。

狂っていて面白いということが自分を正当化させる唯一の方法でした。しかし、僕のように自分を正当化させるためにイカれたものを吐き出してるやつなんてこの世界には山ほどいました。時に狂いすぎてお笑いになっていない怪文書みたいなものを提出したり、狂気に憧れて作ったのが丸見えのくだらない贋作を送ってしまっていました。それは今もハガキ職人やっていあなた方にも言えることですが。

中々ラストを任させることはありませんでした。コーナーの1つ目なんかは弱いメールしか読まれず、その枠に選ばれてしまったときは辱しめを受けているようでした。それでも、稀にコーナーの最後を任されることがあり、その時は確かに自分の中で赤い血が沸き立つのを感じ、踏み外しまくりながら歩んできたぼくの人生が肯定される感触がありました。

ある時から、読まれることが当たり前になり、心が満たされることはなくなりました。その上、ラジオを面白がることもできなくなっており、自分の耳に分厚い膜が覆い被さり頭の中に音が届かない日々が続きました。ハガキ職人なら一度は経験したことがあると思います。ラジオはずっと変わらずにいるのに、自分の中だけでは別のコンテンツに変わってしまっているような感覚。そして区切りをつけようと思い、投稿をその年の暮れに終わらせることを決意しました。

その間に存在を刻み付ける。コーナーの最後にだけメールを選ばれようとする考えを捨て、自分のネタだけでコーナーを埋め尽くすことだけを考え、毎日数百のメールを送りました。そのために投稿する番組も1つに絞り、絶対にここで一番になると強い決意で望みました。しかし、変に熱が入ってることが伝わったのでしょうか。パーソナリティーにうまくハマりませんでした。そのラジオのお得意さんには勝つことができませんでした。そもそもネタで勝つとか負けるとか本当にくだらないです。争い事が嫌いなのに自ら競争社会に足を突っ込んだ自分を恥ずかしく思います。(今では考え方が変わり、しばらく競争社会の奴隷になることを受け入れました。)

ただ、ぼくがメールを送った最後の放送回で自分がメールを送り続けてきたことが意味のあるものになりました。その回のあるコーナーで読まれたメールの半数近くがぼくのネタだったのです。この時初めて世界に深く自分を打ち込めたような気がしました。そして、あの感覚をもう一度味わうために、今もなにかしらを頑張っているような気がします。

投稿からは潔く身をひき、少しずつ変わっていた日常の中でラジオからは遠ざかり、ついには番組を1つも聴かなくなってしまいましたが(最近空気階段の踊り場を聴き始めました)、たまにあの夜のことを思い出して、再びメールを送ってしまいそうになる時があります。僕がその誘惑に耐えているのは、あそこが僕の居場所ではないからです。あのモラトリアムなハガキ職人たちの巣窟は人生においてただの通過点にすぎず、ぬるま湯にいつまでも浸かっていては体の奥から沸き上がる得たいの知れない熱量が深夜の笑い声に溶かされていくだけです。あそこに居続けては、そのうち心は底冷えして燃えたぎる初期衝動は完全に損なわれます。深夜、毎日のように行われる姿形を隠した投稿者たちの闘いにいつまでも付き合えるほど人生は長くないです。あの戦場を経てこれから自分がどう動くのかが重要だと思います。あそこは治療室であって、空港であって、それぞれがそれぞれの道に進む前に休むための宿泊所のようなものです。救われることはあったとしても、完全治癒には至らない。自分のエルサレムにたどり着かない限り、心の傷を塞ぐことはできない。そのことに気づいた(というか勝手にそう判断した)僕は電波の洗脳から解かれて社会に生きることを決めました。今時もういないかもしれませんが、あそこ(ラジオ)で死のうとしないでほしい。伝説になるみたいな、そういう時代はもう終わりです。あんな場所はかつての僕を含めてくだらないやつらが集まるお広場でお遊びでやるのがちょうどいいところです。誰かが作ったお笑いを真似できる要領がいいだけの大学生にでも任せておけばいいんです。だから、電波に乗せてなにかを刻み付けようとしているかつての僕みたいなやつに言いたい。ラジオで命をかけて大学生に笑われるだけで笑われて道具のようにすり減って生涯を終えることになる前に、投稿を断ち切ってください。いつまでもラジオに逃げ込まないでください。現実としっかり向き合ってください。

この前、あるラジオに投稿してほしいと仕事が舞い込んできました。お金が発生するので受け入れました。

お金が発生するなら話は別です。



 
 
 

しかし、1通も読まれませんでした。

誰が2度と受け入れるかクソが!


小さい頃からお金をもらうことが好きでした