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国内カルチャーショックを体感できる劇「赤すぎて、黒」

朝劇「朝日に願え」と同じ谷さんの舞台「赤すぎて黒」2020.3.7 の観賞記録です。朝劇がとっても考えさせられる、唯一の答えがない作品で、個人的にとても好きだったので、こちらも大変期待していました。

結果、とっても面白かった。いや、面白かったと書くと語弊があるかもしれない。とっても考えさせられるので、そのあとは、ずーーーーんと沈んで、書きだしたいけど書き出せなくて、いったん放置してました。笑

価値観の違いをあぶり出す物語の設定

改めて、本当に天才だな…と感心してしまうのは、その設定。思わず劇場でて即ツイッターに「観劇。ほんと設定がすごい。そう、そういう奴に、そう問うてやりたいんだ!だというセリフが自然に配置される。」とつぶやいた。

異なる価値観を持つ2つの家族がぶつかり合うのだが、あえてそれらを当事者たちと呼ぶならば、当事者達にまわりの人間がうまーく絡んで、価値観の違いをあぶりだして、見せつけてくるのだ。当事者達だけだど引き出せないセリフ…。

今回、私のなかでもっとも残ったセリフは、小説家の先生の「“何が”おかしくなっているんですか」だった。「何が」という主語が強調されるセリフ。

そう、日本語って主語なしでも「通じている気」になってしまう、そんな言葉だ。もしそこに小説家の先生がいなければ、流されてしまうだろうなと。

あえて主語を考えてみると…「この状況がおかしい」とか、「私はこの状況がおかしいと感じている」など…と言えるのかもしれない。(めっちゃ不自然だけど。笑) でも、多分これはこれは答えになっていない。あの場で小説家の先生が問うていたのは、あなたがおかしいと判断した「その状況」を説明しろということだと思った。しかし、普段のやりとりでこんな場面はまず生まれない。だからこそ面白い。

実際に起こった事実と、その事実をみて人が感じること…つまり解釈、判断、理解などの「受け取り方」は厳密には一人一人ぜったいに異なるはず。でもそこにライトが当てられにくい…そんな日本語の言語構造が、空気を読めといわれたり、同調圧力を高めたりしているんじゃないか、と気づかせてくれる場面でした。

幸せで楽しい時間は、終わってからが辛いだけ

また小説家が以下のように言っていた。「ちょっと笑えてな泣ける小説は、遊園地の最後のパレードみたいなものだ。それが終わったら現実に戻って、疲れる。だからもう書かきたくない・・・」

ただのハッピーエンドじゃない。おわってから見た人に何が起こるのか、それがむしろ重要ですよね、そういわれている気がした。それは、国内にも関わらずカルチャーショックを体験するようなもので、それがきっと谷さんの劇の魅力なんだろう。

(もしこの解釈があっているならば、私が学校で授業を通して、学習者に気づてほしい、そんな授業がしたいと思っていることにも通じている。これまでの視点と違った視点で物事をみれること、これをいもにいは、以前講演で「多視点」と呼んでいたと思うし、今読んでいる刈谷先生の『知的複眼思考法』にも通じるんじゃないかと。)

それでも残るものは曖昧で限られている

今回、台本が売られていたので買ってみた。はじめて台本というものを見て、とってもワクワクしながら、観劇後、少し移動してカフェに入り、気になっていた場面のやりとりを思い出したくて読んだ。

しかし、なんて記憶は曖昧なんだろう…。確かここら辺でこのようなやり取りが・・・と、ページを行ったり来たり。 お目当てのセリフを探すのに予想以上に時間がかかった。また探しているなかで、こんなこと言っていたのか!と見たはずなのに新たな発見もあった。

一回の劇で、(仮にこのような心を揺さぶられるような劇であったとしても) それを見た人に残せるものって、本当に限られる。

少なくともこの事実は覚えておきたい。



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脚本・演出 谷碧仁(劇団時間時間制作)
舞台監督 金安凌平、木村篤
美術 向井登子
登場人物 田名瀬偉年、竹石悟郎、大鳥れい、秋月三佳、はらみか、上田操、山本夢、平岡謙一、奏羽茜、砂山康之、長内映里香




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