ドイツ イタリアにみる移民問題について


2015年私が渡独した年はシリアの内戦のためシリア難民がドイツに多く到着した年として印象的だった。何度か訪れたミュンヘンの駅に難民が到着する映像がテレビでは流れ、ラジオからは毎日難民のニュースが聞こえてきた。病院で診療をしていると難民キャンプから送られてきた患者さんも何名か出くわす機会があったが取り立てて特別という空気は周りにはなかった。
世界第二位の移民大国であることはこの記事を読むまで知らなかったが、私も実際その一人だったし、現在はイタリアに移民として滞在しているということになる。

7年を過ごしたハンブルクはドイツの中でも特に多くの人種、国籍の人々が混ざり合う街だった。皮膚の色、喋り方、食べ物などみんな違うことは当たり前でドイツ人自身もそしてドイツの外に関わりやオリジンを持つ人も調和を保って生活しているように私の目には映った。アジア人としてマイノリティであるという意識はさほど必要ではなく、外国人・移民である自分も仕事をもち税金を納めているという確固たる自信を持って生活し、他からはそれを尊重されているのだと感じた。ドイツ人が他国からきた移民に対し敵対心を持つように感じることはなかったし、バランスの取れた共同国家としてうまく機能しているように感じた。移民が特にドイツ人にとって荷物になっているようには感じなかったし、ドイツ人が積極的に排除しようとしている光景は見当たらなかった。
記事にある通り一定の民族の中には閉鎖的コミュニティーを形成し、ドイツに長期的に住んでいてもドイツ語を話せない人やドイツの価値観や倫理を受け入れない人もいた。しかしそれははるかに生活しづらいのであろうと想像に難くなかった。

イタリアに移り一年が経つが、イタリアではイタリア人とそれ以外という意識がドイツよりも強く感じる。特に移民問題は国家の大きな負担として取り上げられ、移民難民たちは煙たがられているように私の目には映る。先のヨーロッパ選挙でもすでに右派が与党となって日が浅くないイタリアのみが選挙では圧倒的だったようで他の左派が主流であるヨーロッパ諸国では今回の右派の躍進がかなり響いたようだ。目に見える差別は感じないものの、国家に負担となる移民に対する排除の気持ちはイタリアに根深く存在するように思う。ドイツでは共存できてイタリアでは不可能な理由は何なのか。



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