中学受験の夏

12歳の夏、ジリジリと太陽が照りつける中、毎日塾へと通い、朝から晩まで勉強した。小学五年生の秋から入塾した私はスロースターターであったため、周りの生徒が知っているつるかめ算や、地理の知識、国語の文法などが学びきれておらず、クラスでは常に落ちこぼれ、先生にはよくゲキを飛ばされた。今の時代にあの罵声はもう聞くことはできないだろう。難しい問題がでると、こんなものもわからないのか、と叱責され、悔し涙を一生懸命堪えた。辛い日々にも関わらず負けごとを言ったり、ウジウジすることがなかった私は母から見ても神がかっていたらしい。

あんなに頑張れることは多分一生もうないだろう。医学部を受験したときも、医師国家試験を受験したときも、そして医者になってからも、あれほどまでに脇目も振らず頑張れたことはない。子供だからこそ妥協したり人と比べたりという邪魔が入らず純粋に直進できたのかもしれない。

久々に気持ちと時間に余裕が生まれ読書欲が湧いてきた。友人の勧めで読んだ本は2日で読破してしまった。次はないかと同じ著者のものをもとめ、読み始めてみたこの作品。読み進めるうちに、そうだそうだ、そんな気持ちだったなあと昔の思いが蘇る。

一般的に中学受験を「させられる」子どもたちはかわいそうだと世論はいまだに変わらない。しかし「させられている」という受け身状態で乗り切れるほど受験は甘くはなかった。自分の強い希望がなければ乗り越えることはできなかったし、やってみるかという選択肢を与えてくれる親の存在がなければスタートラインにもたてなかった。厳しい夏を超えクリスマスもお正月もずっと勉強に励むには親の支えと応援がなければ成し得なかった。日本でも有数の学校に受験したわけでもなく、京都の一、女子校を受験したに過ぎない。それでも受験を経験したものとして、この経験が私の人生を形成する大きな糧となったと断固として言える。かけがえのない経験をできたことに感謝。そして今の私とちょうど同じ歳の母があの小さな私をサポートしてくれたことに心から感謝。

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