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人生で一番旨かった食事

家族(主に子供)の為に食事を作っていて今日ふと考えた事。

いくら美味しそうに食べてくれても、自信作なのに吐き出されても、親がいくら一喜一憂したって
この時の事を子は殆ど覚えていないのだろう
だって私だって乳幼児期の食事なんざ、だいぶ記憶に古いし年々薄くなってる

母には申し訳ないが、人生で一番旨かった食事は母手製のものではなかった
親になってみて本当に悲しく思うけど、そりゃ一緒に住んでなかったんだから当然かもしれない
あんなに染みたご飯はもう二度と食べられないと思う

当時14~5歳の私は、母に同居を煙たがられ父の住む田舎のマンションへ転がり込んでいた
迷惑だから何処かへ行ってくれと言われたのだから仕方無い。
転居届は出しておらず学校も行けず小遣いもない、と三拍子揃っていたので、ミテコ(身分証が提出できない子供の略語)でも唯一雇ってくれたピンサロで働いていたが
閉店、やむなく全員で店舗型のヘルスへ移動したのだった

出勤は週5日、頼まれて週6とか8連チャンになる事も多々あった
15時または17時から深夜2時まで勤務、12時で帰ると早退になるし陰口を言われるので
今だと信じられないが空が明るくなるまで営業していた日もあった。要するに2時までにお客さんを入れてしまえばよかったのだ
法などあってないようなもので、何もかもが緩かった。

なのに警察や児相が入る事もなくて、それが心地良くも悪くもあった


余談だが未だにローションと石鹸の混じり合った独特な淫靡な香りは好きである
郷愁がそれというのもなんだかアレだけども…
ラブホの近くなんか通ると風にフワッとお湯や石鹸の香りが乗ってくる事ありますよね(私だけか?)、あれなんかドキッとするんですよね


話戻って
ある日会長が店の台所でうどんを作ってくれた。
なんせ田舎なもんで、作りとしては巨大な一軒家に近い。3口コンロの立派な台所に調理家電も揃っていたので
店泊する女の子もいた

坊主頭に常にキャップ、太い眉の眉間にいつも皺を寄せた小柄だがいかつい会長
私も御相伴に上がったが、まあ普通の男の手作りうどんと言った味だった
その日を境に店で自炊ブームが始まり、嬢から受付スタッフ(店長の恋人ともいう)に転身したマリさん(仮名)も腕を奮ってくれた

その日は出勤からずっと忙しくてお客さんにつきっ放しだった、ようやくの合間にコールで台所に呼び出されると
ご飯の炊ける匂いと魚の焼ける煙が漂ってきた。

マリさんのメニューは白飯、豚汁、サンマの塩焼き。
初老の男性スタッフもやってきて、私の肩を叩きながら言った
「いっぱい食べな」

めちゃくちゃおかわりした
なんせ当時育ち盛り。あと旨すぎる。どれも地元の新鮮な素材というのもあるけど
人妻子持ちで旦那のDVから逃げてきているマリさんが作ったというのも大きかった
言うなれば『母親の味』だ。当時半年以上母に会っておらず
もっと言えば同居してる父とすら生活時間帯が合わず会わない事あった
会っても何も言われなかった、茶色に染めた髪を訝しげに眺められ終了。

お腹パンパンのまま次の接客したっけなあ。
これを夫に話したら
「お前、ボロボロだったんだな…」と言われた事もある

だから、息子も将来一番美味しいものは私の手料理なんかじゃないと思うのだ
ただ、今食べてもらいたいから
私のエゴで
頑張ってなるべく手作りの食事を出すだけ。
思春期に一緒に過ごす誰かの味の方が、情も思い入れもあって美味しく感じるだろう

母の味というのは毎日あって当たり前、な位でいいのかもしれない
それがどれだけ幸せな事か大人になるまで気付けない状が幸せな事だ

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