コテンラジオを聞いて、幸せの見方が変わった話
今日は、コテンラジオという番組の番外編をきっかけに幸せについて考えてみたのでまとめてみます。
以下の放送、とてもいいので是非聞いてみてください。
話されてた内容の本筋ではないんですが、聞いて思ったのが、幸せって相対的な考え方だってことです。
過去のいつかの時間と比較して今がどうか?
あるいは他の誰かと比較して自分がどうか?
自分がどういう立場なのかを歴史を通して相対化することで、差分で理解できるってコテンラジオの中でよく言われるんですが、
自分が幸せかどうかってことも、差分で感じているんじゃないかと思いました。
■ 幸せにフォーカスするって諸刃の剣
過去に対して今が良い状態と思えたり、他の誰かに対して自分が良い状態と思えたりすれば、恵まれてるように感じるのではないかと思います。
そして、それらの差分が大きいほどその感じ方が大きい。
ここでは、仮にこんな感情を「幸せ」と定義します。
でも、これってプラス側って思ったら幸せってなるかもですが、マイナス側って思ったら不幸ってなるってことです。
つまり、ここでいう「幸せ」にフォーカスすることは、幸せにもなり得るけど、不幸にもなり得ることをはらんでいます。
■ 相対化する対象次第で変わる
幸せについて感じる時に、私たちは無意識に何かと比較してるんです。
この時、近視眼的だと自分の過去や自分の身の回りの近しい人と比べてしまう気がしてて、そうすると、かなり具体的に差分が意識されます。
その時に差分で自分がマイナス位置にいると見えたら、多分不幸だと感じて悩むことになるんです。
一方で、歴史上の人物を考えるなど、遠くまで見渡すと、自分とは全然違う枠で、いろんなバリエーションがあるので、差分が単純でなくなる。
いろんな人生の中に自分の人生を投げ込んだ時に、いろんな見方とパターンがあるので、単純明快に差分が見えてしまって、不幸だと感じてしまうことになりづらい。むしろ、いろんなパターンがあるから、自分の人生の可能性にも勇気が持てる。
そして歴史上の人物達は、彼らの未来まで分かった状態で比較できるから、自分の過去でなく、未来にも目を向けやすい。
歴史に目を向けることは、人生を楽にすることにつながるなぁとつくづく思いました。
この辺の話はコテンラジオの中で深井さん達が伝えたいことにもリンクする気がします。
■ 幸せを見ない選択肢
ただ、今回話したいのはちょっと切り口が違って、そもそも幸せについて考えなきゃいいんじゃないかということです。
あえて「相対化しないこと」とも言えます。
幸せについて考える(差分で考える)から、マイナスな場合も出てくる。
極論すると、幸せを望むが故に不幸になる。
仮にプラスに感じても何だか虚しい気がします。
そして幸せが差分で感じられるものだとすれば、差分を生み続けないと幸せで居続けることはできません。
これではキリがない。
幸せは自分の外に物差しがあります。これを外じゃなくて内の自分軸で見る。
「足るを知る」という言葉があるように自分にとって足りてるかどうか。自分にとって必要なものが何かがまずあって、それが自分にとって満足されてるかどうか。
そういう見方をするとだいぶ、楽。
基準が自分だから、基準を変えることもできるし、基準に対しての差を埋める努力もしやすい。
そして自分にとって大切なものがある、自分の好きなことがやれてる、それはストレスフリーな自然体でいられることで、楽しい。
そういう意味で「極楽」とはよく言ったものかもしれない。
そしてこれは仏教に通ずる考え方かもしれないなぁと思います。。。知らないんですけどw
まぁ、幸せにフォーカスする/しないの、どっちが良い悪いという話ではなく、幸せを見ないって選択肢もあるんじゃないかなということです。
■ まとめ
外じゃなく、内で考える。
そうすることで楽に生きれるんじゃないかなぁと思います。
でも、結局この内側の自分軸というのは、自分を知ることに他ならなくて、これはまさに歴史上も含めた広い範囲で相対化することで得られるんじゃないかと思います。
結果的に、「視野を広げて自分を知る」に尽きるんだなぁと思いました。
(書きながら、結局全部、深井さん達が日頃から言ってることな気もしてきましたw)
こういう深掘りもできるからコテンラジオ、大好き!
みんな、コテンラジオを聞こう!w
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
自分を知るということに関連して過去に書いた記事も良かったら読んでみてください。
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