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空洞を抱きしめて、未来へ(人生で初めて一人暮らしになった記録)

2020年8月2日、午前7時前の成田空港、国際線出発ターミナル。
この日、ここで目にした光景を、私はこれからもきっと忘れないだろう。日本の玄関と呼ばれ、普段なら昼夜問わず、大きなスーツケースを転がし行き交う大勢の人で賑わっているはずのこの場所に、私たち家族以外にはほぼ誰もいなかった。

余裕をもって出発しておいて、空港で朝食をとろう、なんて言っていた。たとえ自分がどこに行くわけではなくとも、これから旅立つ人たちに囲まれフードコートで食べるごはんは、どんなに他愛のないものでも何かが特別だから、私たちは口に出さずともみんな密かにワクワクしていた。けれど、人がいないのだから当然、敷地内の飲食店にはほとんどシャッターが降りていて、中には新型コロナウィルス収束の目処がつくまで無期限休業を告げるチラシを張り出した店もあった。誰もいないだだっ広い通路を、子供くらいのサイズの警備ロボットが「只今、自動巡回中です」と律儀に無機質な音声で実況しながら、行ったり来たりしている。生きたまま死んでいるかのような日本の玄関。世界がすっかり変わってしまったという事実を、このときほど強烈に突きつけられたことはなかった。

7時半まで待って、ようやく開店したスターバックスに入った。それぞれ飲み物を頼んでいると、若い女性の店員さんが「留学ですか?」と尋ねてくる。私は驚いて「そうなんです、でもどうしてわかったんですか?」と聞き返すと「最近、出国されるお客さんは、ほとんど留学の方なんです」と言う。

今年15歳になる娘が、留学のためフランスに旅立つことになった。

フランス留学は、娘が小学生の頃から切望していたことだった。当時「フランスの中学に通いたい」としきりに言う娘を「さすがにまだ早いよ」となんとか諌め、日本の中学に入学させたものの、直後から娘は、原因不明のさまざまな体調不良に悩まされるようになった。またそれとともに、どんなに話し合っても、押しても引いても、なだめてもすかしても、てこでも学校に行かないということが増えた。2年に上がるころにはこちらが根負けする形で、学校に行かないことがすっかり日常になってしまった。

どうしたものか、と思い悩んでいたあるとき、娘は私の知らないうちに、フランス留学を専門に扱う留学代理店にメールを書いていた。中学生でも留学に行けるでしょうか。費用はどのくらいで、どんな準備が必要でしょうか。いくら中学生と言え、子供が書いたであろうことはひと目で分かるメールだったけれど、ほどなくして届いた返事には、全ての質問に詳細な返答が記されていた。さらに、「よろしければぜひ一度、話を聞きにきませんか?」と添えられていた。

娘の熱意に押される形で、すぐに話を聞きにいくことになった。私たちの応対をしてくれたのは、かつてフランスで暮らしていたという私より少し年上の日本人女性で、彼女は私たちが疑問に思うことひとつひとつについて、娘と私を代わる代わる見ながら、2時間ほどじっくりと話をした。おかげで思いつく限りすべての疑問は解決されたものの、それでもまだ漠然とした不安の残る私に、彼女はにっこり笑って「娘さんなら大丈夫ですよ」と言った。それから今度は娘の目を真っ直ぐに見つめながら、こう尋ねたのだ。

「あなたは、自由になりたいんでしょ?」

午前8時を過ぎると、空港にはようやくぱらぱらと人の気配が感じられるようになってきた。かろうじて開いた売店で、買いそびれていた薬を買い足したり、両替所で両替をしたりしているうちに、随分と余裕があったはずの出発の時間は、いよいよ目前に迫っていた。念願だったフランス留学の切符をついに手にしたにも関わらず、さすがの娘もこのときばかりは、今にも不安で押し潰されそうな、弱々しい表情を浮かべていた。何しろ次に帰国するのは、予定では1年後だ。当然、そんなにも長い間離れて暮らしたことはこれまでに一度もない。いくら背丈が私と同じほどになっても、紺色のワンピースの上に赤いカーディガンを羽織った出で立ちにはまだどこかあどけなさが残る。リュックを背負った肩が、今まで見たこともないほど小さく、自信なげに丸まっている。

「大丈夫よ」と、思わず肩を抱いて声をかける。娘は、こわばった笑顔を浮かべて小さく頷く。「心配ないよ。何かあればすぐに帰ってくればいいんだから。大丈夫」娘に向かって繰り返すうちに、自然とその言葉は、私自身に向かう。

本当に大丈夫だろうか。体の弱いこの子が、大きな荷物を運んで行けるだろうか。大丈夫。言葉も通じない国で、病気せずに暮らしていけるだろうか。大丈夫。怖い目に遭ったりしないだろうか。困ったときには、誰かに助けを求められるだろうか。大丈夫。傷ついたとき、優しい人が側にいてくれるだろうか。まだこんなに小さいのに、寂しい思いをしないだろうか。大丈夫。大丈夫。きっと大丈夫。娘に向けて言う振りをして、本当は自分のために、何度も何度も繰り返す。ただ、祈るように。

パスポートを片手に、よろよろと心細い足取りで出国ゲートをくぐった娘がすっかり見えなくなってしまうまで見送ると、今度は送迎デッキへ向かった。人もまばらな空港から、それでもほんのわずかな乗客を乗せ世界中に旅立つ、いくつもの飛行機を見送ったのち、予定より10分ほど遅れた頃に、娘を乗せた飛行機はいよいよ、離陸に向け動き始めた。私たちの目の前を一度ゆっくりと横切ったとき、もしかしたら中にいる娘から見えるかもしれないと、おーい、と声を上げながら、精一杯手を振った。あなたの家族はここにいるよ、いつでも帰ってきていいからね。広い滑走路の端まで行った飛行機は一旦止まって向きを変え、しばらくして、今度はごーっと地響きのような音を立てながら、再び、こちらに向かって動き始めた。次第に加速し、ちょうど私たちの目の前に来たあたりで、前輪がふわりと地面から離れた。それから、後輪。大きな機体を斜めに傾けると、どんどん遠くの空に向かって上昇し、娘を乗せたまま、あっという間に見えなくなってしまった。

9月は私の、そして娘の生まれた月だ。10年ほど前にかつての夫と離婚して以来、誕生日は私と息子と娘の3人で過ごしてきた。けれども今年、娘はフランスに旅立った。さらにそれから1ヶ月半ほどがたった頃、今度は18歳の息子が少し離れた街で一人暮らしを始めることになった。付き合って4年目になる恋人は名古屋で会社を持っているから、東京で一緒に暮らすことはできない。そんなわけで私は突然、家に一人になった。

息子も娘も、最低限必要なものだけを持って家を出たので、彼らの部屋には、私を含むまわりの大人が良かれと思い買い与えたたくさんの物が、そのまま残されていた。主(あるじ)を欠いた静かな部屋の真ん中に立ってみると、一緒に暮らしていたときには近すぎて見えなかった子どもたちの日常が、以前よりもくっきりと見えるような気がした。都会の真ん中で、無数の選択肢と、大人の関心とに囲まれて育ってきた子どもたちは、何にだってなれる。どこにだっていける。手を伸ばせばすぐに与えられる。そんなだから、どうしたらいいのかわからなかったのかもしれない。

原稿を書きたいからちょっとだけ静かにして、と頼まなければならないほど賑やかだった家の中からは、すっかり音がなくなった。代わりに、私が食器を洗う音、私が洗濯機を回す音。私がシャワーを浴びる音。私が食事をする音。それまでにだってずっと私の側にあったのに、不思議と全く聞こえてくることのなかった音が、とてもはっきりと聞こえるようになった。

自分から突然、感情の一部が抜け落ちてしまったような気がした。ユーモアを楽しむ心や、明日を思ってワクワクする心。食べたいものや、観たい映画、聴きたい音楽。そういったものが、まるで思いつかなくなってしまった。

そんなあるとき、実家の母からメッセージが届いた。
「大丈夫? 寂しくない?」
「寂しいよ、毎日泣いてる」
やや冗談まじりにそんな風に答えると、「そうよねえ、わかるよ」と返事が届いた。

そうか、とはっとした。母も、そうだったのだ。私が家を出た18のとき、寂しさなんて微塵も匂わせなかった母も、本当はこんなにもぽっかりと空虚な思いを抱えていた。だから知っているのだ。旅立つ者は、ただひたすら未来を目指し、過去を振り返ることはない。旅人が過去に残した空洞は、置き去りにされたものの前にしか表れない。

でも、それでいいのだと思った。

子どもたちの存在を知る人はこれから先もきっと無数に現れる。だから私だけはこの世界で、どんなに寂しくても不在の彼らを思い続けよう。彼らの残した空洞を大切に守り続けよう。かつて私が置き去りにした母が、私のために、そうしてくれたように。そしてそれでも尚、私の人生は続く。

「誕生日のプレゼントは何がいい?」

そう恋人に聞かれたので私は、少し考えて「靴が欲しいな」と言った。すると、どんな靴がいいの? と言うので、こんな風に答えた。

「これから先、何年も使い続けられるくらい頑丈で、どこまでだって行けるほど歩きやすくて、これまで集めてきた服にもしっくり馴染む、そんな靴がいい」

とはいえ靴というのは難しい買い物なので、彼が東京にやってきたタイミングで一緒にデパートに行き、理想にぴったりな靴を、最終的には私が選んだ。頑丈で、歩きやすくて、これまでの私にもしっくりと馴染み、それでいて、これまで持っていなかったような靴。


“あなたは、自由になりたいんでしょ?”

あの日、ふいに投げかけられた問いに娘は、はっと驚いた顔をして、それから、深く頷いた。

未来の自由のために旅立った子どもたち。私は彼らの過去であると同時に、今を生きる私自身でもある。だからこそ私もまた、過去にも現在にもない、まだ見ぬ自由を探して旅に出る。空洞を抱きしめ、新しい靴を履いて、未来へ。



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この文章は実家の母に、朗読会で朗読するための作品を書いて欲しいと依頼され書いたものです。当時は気が付かなかった母の時間に、長い時を経て気がついた娘の話を、母に朗読してもらう、そんな娘の悪巧み……。皆さまも朗読会が開催される折にはぜひご自由にご利用ください。


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