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【人と犬の繋がり】江戸の火消 は組の新吉の愛犬 八の犬塚へ 両国 回向院

みなさん、こんにちは。
時雨です。

東京都の両国にある、浄土宗の寺院・回向院(えこういん)に行きました。
両国と言えばお相撲さんとちゃんこ。
ちゃんこ料理屋が多く、寒い冬にぜひ行きたい街ですね。


こちらが回向院。

江戸時代の明暦の大火(めいれきのたいか)と呼ばれる大火事で約10万人の市民が亡くなってしまい、その供養のために、江戸幕府が建てたお寺だそうです。

このお寺のスタンスは人だけでなく、動物すべて、
「生あるものへ仏の慈悲を説く」という考えがあるそうです。

撮影中に亡くなったであろうペットの供養のために
花を持って訪れる人がたくさんいました。

こちらは猫塚。

猫ちゃんの供養のために建てられた塚です。

こちらは小鳥供養塔。

鳥の供養のために建てられた塔です。

こちらは軍用犬・軍用馬の慰霊の碑です。

こちらは珍しいのですが、魚の供養の像ですね。

カニのオブジェがくっついていました。

奥に見える塔のような所が馬頭観音堂(ばとうかんのんどう)です。

通りには愛犬、愛猫の塔婆が並んでおり、彼らが家族同様の扱いを受けてきたことがわかります。

この観音様の周りには愛犬の写真、愛猫の写真が貼られていました。

どの子もみんな愛されていたんだな、優しいお寺だな、と見学している時に思いました。

私が今回訪れた理由なんですが、江戸の火消し
は組の新吉の愛犬、八(はち)の犬塚を見るためです。

こちらが犬塚

雨風や年代劣化があったのだと思いますが、墓の文字と絵が読み取りにくくなっています。
墓の文字は「唐犬八之塚(とうけんはちのつか) 施主は組新吉(せしゅはぐみしんきち) 慶応二丙寅(けいおうにへいとら)(1866年)」と書かれているそうです。

飼い主の新吉さん、火消しを行っていたのですが、江戸時代では珍しい洋犬を飼っていたそうです。墓を見るとグレイハウンドに近い犬のように見えますね。

文献を読んだことがあるのですが、江戸時代、犬というのは今でいう地域猫のように、飼い主のいない犬が地域をうろうろしているのが普通だったようです。このは組の新吉の犬は、新吉さんの自宅の敷地内で一緒に住んだり飼われていたことが想像できます。

この愛犬の八(はち)が新吉さんと火消しを一緒に手伝ったり、警備などをやっていたのかはわかりませんが、江戸時代当時、犬専用の墓が残っているのは非常に珍しいとのこと。
洋犬ですから、新吉さんが八(はち)を連れて歩くだけで、江戸の町民は物珍しがったと思います。新吉さんが、自慢の愛犬として鼻高々になった時もあったのではないでしょうか。

この回向院は江戸時代の大火事で被害にあった人の供養のために、江戸幕府が建てたお寺だと伝えましたが、当時の江戸幕府が「個人の犬の墓を建てることを許すことはないのでは?」という解釈があるそうです。幕府が許可をするのは、八が新吉さんと一緒に火消し活動をしたり、何かしらの手柄を立てたことがあるのではないでしょうか。

人と犬の絆が感じられる、どこかほっこりとした気持ちになれる犬塚でした。

動画はこちら↓↓


回向院
https://ekoin.or.jp/
〒130-0026 東京都墨田区両国2丁目8−10

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