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消費行動と社会心理・構造Magazine

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生活者の価値観や心理と行動はどう変化したのか?それによってこれからの社会はどうなってゆくのか?マクロな視点で世界とニッポンの経済成長に直結する潮流を分析します。
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#プラットフォーマー

プラットフォーマー幻想、その実態は『グローバル・マス80億人』に縛られた“がんじがらめ”ビジネス その1。

我々が今触れてるデジタル空間は『自由な世界』か? そんな問い掛けをちょっとしてみたい。 なぜかと言うと、僕たちは、ここ10年くらい猛烈な洗脳を受けてきたことに、つい 3日くらい前に(笑) 気づいたからだ。 例えば…… 僕たちが普段普通にモノを買うようになったECサイト(On-line Shop)。 これって、どこもかしこも似たり寄ったりのUI(画面、操作、使い勝手)だけど、ホントに使い易くて、楽しい売場(店舗)だろうか? 素面に帰って良く良く眺めてみると…全然イケてない

モノとサービス(コンテンツ)の“個別価格”提示で何が変わる?『NOTEのビジネススキーム』は大正解。

①様々なプラットフォーマーが提供し始めたコンテンツのサブスクリプションサービス(定額課金モデル)。 ➁そしてそれよりずっと前から各種コンテンツ業界で行われていた再販固定価格という売り方。 この二つの販売方法、当たり前のように見えるが、実は消費者のモノやサービスに対する“評価眼(ものさし)育成”を妨げてる……というのが筆者の持論だ。 これ、どういう意味だろうか? 映画業界、ビデオ業界、音楽業界、書籍・出版業界、ゲーム業界。 この全ての業界が確立してきたクリエイティブコンテンツ

プラットフォーマーが壊した消費&市場経済を再構築する未来図と未来職種 その1

表現は悪いのだが、プラットフォーマーは消費市場を破壊した!と僕は捉えてる。 もうちょっと具体的に言うと、スマホと検索エンジンとSNSが(狙ったのではないと思うけど)生活者に対する『思考停止エンジン』として機能してしまい、かつ依存性のあるSNSは一日の生活時間を埋め尽くして奪ってしまった。結果として消費市場のデフレ化を助長していると感じるのだ。 スマホに見入ってる時間がもし無くなったら、人はもっと生活をより良く、楽しくする工夫をする・思考を巡らす…ように思うのだ。 以下、同じ様

SNSのように“仮想化”する仕事と消費行動。

昨日の自分の行動を振り返る。 オンラインで解析ツールのデータを読み込んで、リモート会議してクラウドのドキュメントを更新してレビューして、アサインする人材のレジュメをチェック。 オンラインのAPIサービスを探して、その仕様とサンプルを担当人材に投げ込んで…見積作って客先に投げる…… 気づくとオンラインだけで仕事が完了するようになってたりする。 これって…オレ…仕事したんだっけ?と思うことが増えてきた。 というのは、自分が見てるのは全てデータでしかなくて、ホントに向こう側にヒト

村上春樹が処女作で予言した世界。『量』による拡散は『質』を超えるのか?~「魔法の世紀」の罠。

落合陽一氏に喧嘩を売るわけじゃないんだけど……… 彼の著書『魔法の世紀』で書いたことは間違いではない。 でも、GAFAや新進のデジタルプラットフォーマーのビジネスモデルに対して、ちょっと違和感を感じて、あの懐かしい小説をふと思い出してしまったのは、僕が初期高齢者だからかしら?ちなみに筆者は今56歳。 今や日本文学界の巨匠、金字塔の村上春樹の処女作『風の歌を聴け』。 そこには、数値でしか自己の存在価値(レーゾン・デートゥル)を証明できないという考えに囚われた一人称主人公の”

ヒトって別に「便利」を消費してる訳じゃない。

IT、デジタル、イノベーション……高速に技術が進化して、組織も仕事も変化してきて、落合陽一さんの言う「魔法の世紀」がやってきた。それは間違ってないけど、そもそも今僕たちが生きてる資本主義社会で、ヒトは何を求めて生きてきたんだっけ? 昔良くあった議論。 食べるために生きるのか、生きるために食べるのか? もし後者だとすると、じゃ、何のために生きてるの?って話だけど、 この哲学的な問いかけだと話が終わらなくなるので、とりあえず 消費と生産(創造?) と定義してみる。 で、近頃どう