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言葉紹介2 共依存

 こんにちは、シグピットです。
 突然ですが、皆さんはすさまじい孤独を感じたことはありますか?自分一人だけになってしまったという絶望。
 僕はあります。そのときに、タイトルにもある「共依存」という存在に入りました。
 この言葉はメジャーなのかマイナーなのかはわかりませんが、自分なりに紹介をしたいなと思います。(主観多めかつ、長めな記事です。ご了承ください)


定義

共依存をWikipediaで検索すると、以下のように出てきます。

共依存(きょういそん、きょういぞん、英語: Co-dependency)、共嗜癖(きょうしへき、Co-addiction)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2][3]。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である[4]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする[5][3]

 つまり、相手との関係性に完全にとらわれてしまい、相手といることによって、自分の存在価値を見出すということです。また、相手をコントロールをして自分を落ち着かせるということですね。

僕の考え方

 僕自身はネットで共依存の関係が何回かありました。その時は、相手とお互い共依存だねと認識していました。
 ですが、別れてしまったんですよね。連絡が取れなくなったということです。
 皆さんは、共依存の関係をだれかと結んだことはありますか?
 きっと結んだことがある人はかなり少数派でしょう。

 僕は、相手の親の関係や、今回の入院によって別れてしまったことがあるので、共依存ができてから、なくなってどうなるのかを体験しています。そんな僕の見解を書きます。

 まずは、入院中に病みすぎて共依存についてポエムのように書いた文をそのまま書きますね。

 共依存は1番つらいときに頼れる存在で生きる意味を見出してくれる。
 お互いが”生きる”目的を保ち続けられる。
 でも、もし崩れかけたら、生きる意味を見出しづらくなる。
 なぜ生きているのか、その穴を埋めるべく再び共依存を探す。
 「共依存」という存在に生きる意味を依存しているのかもしれない。

 うーん。実に病んでてイタイ。
 ですが、実際こんな感じなのです。共依存の人と別れた時の打撃は大きく、誰かに相談したくなります。そして、たくさん優しく乗ってくれる人に依存していくわけですね。
 ネットの関係は基本的に永遠には続かず、いつか終わりが来るので、共依存のループは永遠に続くわけです。
 ネットの世界から離れられないと、捕らわれてそこから抜け出すのは不可能です。存在意義をゆだねているので、家族よりも大切に思えたりします。

 以上が、僕の共依存に対する考え方です。僕はまだ別れた人を覚えていますし、いつかまた話せると願っています。なぜなら、その人たちにまだ存在意義を置いているので。
 皆さんは、ネットでの人間関係はお気を付けください。

 長い記事にもかかわらず、ここまで見てくださった方、ありがとうございました。
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