見出し画像

がんばってきた人が「年齢」だけで烙印を押されるのはいいことだと思わない

竹内義晴の「これからの働き方」――この番組は、これからの働き方、組織作り、地域づくりの実務家、竹内義晴が「楽しく働く」をテーマに、組織づくりやコミュニケーション、マーケティング、キャリアデザイン、複業、テレワーク、ワーケーションなどの視点でゆるゆるとお話をしていく番組です。

いま、noteさんの #創作大賞2024 #ビジネス部門 という企画に参加しています。『「仕事っぽいシゴト」が社会の課題を解決する』というタイトルの本を作るイメージで毎日お話しています。1本目、目次はこちらです。

昨日は、「大企業の人事が言えない「本音」」というお話をしました。

今日は、「がんばってきた人が「年齢」だけで烙印を押されるのはいいことだと思わない」というお話です。

音声はこちらです。

働けるだけでありがたい(?)

いままでの働き方といったら、だいたい、「教育→仕事→引退」という、大きく分けると3つのステージに分かれてました。

引退が終わると、いままでだったら再雇用のような形で給与が大幅に減額になりました。それでも「働けるのはありがたい」ということで、再雇用を受け入れてきた……というのが、一般的だったのではないかと思います。

一方で、2023年7月20日に、「名古屋自動車学校事件」という裁判が起こるんですね。「事件」なのかどうか、言葉的に正しいのかはわかりませんが。一言で言えば、定年退職後について「仕事は変わらないのに、給与が大幅に減額された」というものです。

この裁判について、ITmediaビジネスオンラインの『定年後の再雇用、賃金50%減の「妥当性」は? ”異例の判断”が下った判例から考える』によれば……

 今年7月20日に行われた「名古屋自動車学校事件」は、定年退職後の社員の賃金設計を考える上で、大きな示唆を与える裁判となった。

 先述したように、再雇用者の給与は下げられるのが一般的だ。しかし、いわゆる同一労働同一賃金を規定した「労働契約法旧20条」(現パートタイム・有期雇用労働法8条)は、正規と非正規の不合理な労働条件の相違を禁じている。

 この裁判では、再雇用者の賃金水準はどこまで許容されるのかが注目を集めていた。最高裁は、原審の名古屋高等裁判所が判決を下す根拠となった「労働契約法旧20条」の解釈について「解釈適用を誤った違法行為がある」と指摘。名古屋高裁で再び審理を行えという差し戻しを命じた。

出典:定年後の再雇用、賃金50%減の「妥当性」は? ”異例の判断”が下った判例から考える | ITmediaビジネスONLINE

とあります。

いままでと同じことをやっているのに、給与が減らされる理不尽さ

僕、個人的にも「いままでと同じことをやっているのに、給与がいままでと異なる」というのは、やや理不尽に感じます。

これまでの再雇用では、これを「当たり前のものだ」と受け入れてきました。

けれども、この裁判では「これからは、勤続年数とか、年齢とか、そういったものではなく、仕事に関する職務や職能と照らし合わせて、具体的に決めていかないといけないよね……」と言っているわけです。

それが、今後具体的に、どのように形になっていくのか。それは、僕にはわかりません。

ただ、少なからず「いままでやってきたことと同じことをやっているのに、給与が減らされる」というのが当たり前……というのは、理不尽さを抱かずにはいられません。

人口減少がすすむ今後の日本社会において、「年齢」ではない評価軸が必要

人口減少が進み、今後、労働力人口が不足していく中で、おそらく、いままでのように、乱暴に「年齢が高いから、給与を減らします」「もう退職したし、再雇用なのでこれぐらいでいいですよね」という形ではない方向になっていくんじゃないか、と個人的には思います。

以前のような、人生80年時代だったら、65歳ぐらいで定年になって、その後は余生……みたいな考え方も、なくはないのかもしれません。退職金と年金があれば、それほど稼ぐ必要もないのかもしれません。

ですが、いまの時代、60代ぐらいだったら普通に働けるし、人生100年時代で、いままでよりも長く生きる時代になってきているいま、ベテラン世代のキャリアは、もうちょっと他のやり方がないといけないんじゃないかと思います。

もしも、それが難しいのであれば、いままでと同じことを、同じ時間で働いているのに、給与をさげる……のではなく、労働時間を給与に見合うようにしていかなければいけません。そうすれば、第2、第3のキャリアを歩む準備がしやすくなります。

いままで頑張ってきた人たちが、年齢という要素だけで「能力がない」とされることがいいことだとは思わない

年齢を重ねると、確かに体は老いるのでしょう。それは間違いない事実でしょう。また、実際問題、僕自身も50代前半になって、体の衰えを感じることもあります。

しかし、いままで頑張ってきた人たちが、年齢という要素だけで能力がないと判断され、それに伴って給与が減らされる……というのは、理不尽だなと思います。

もっとも、働く側も、経験を重ねてきたんだったら、いままでと同じ給与をもらうためには努力は必要だと思いますけどね。社会は変わっていくのに、それに対して何も変えようとしないのであれば、給与がさがっていく、価値がさがっていくのは、一理あるかもしれません。

ただ、いままでとまったく同じことをやっているんだったら、さすがに、給与が6割、5割減というのは理不尽だと思いますし、いままで頑張ってきた人たちの評価が、年齢という要素だけで烙印を押され、切り捨てられるのは、僕はおかしいと思っています。

頑張った人は、頑張った分だけ評価をされて、給与もそれに伴ったものでなければならない。そう思います。

それが難しいのであれば、給与が減らす分だけ労働時間を減らす……みたいに、職務とか職能によって、人が判断されるようになっていかないと、現代の少子高齢化の中では、貴重な人材を有効に使えなくなってしまいます。

さまざまな能力がある人が、年齢という要素だけで判断されるのではなく、その人の特徴や強みで、正しく判断されること。また、活躍できる場が増えること。

そういった環境を作っていく必要があるのではないかと、僕は課題認識を持っています。

では、今日の話はこれで終わりにします。

次の記事:第2章まとめ―キャリア不安を減らす「社会との接点」をどうつくるか

#創作大賞2024 #ビジネス部門

いいなと思ったら応援しよう!