『ひゃくえむ。』–vol.09 6月のマンガ・リハビリ・エクササイズ②

最近マンガ読まなくなったけど、月に5冊マンガを買ってリハビリしようというお話。2019年6月購入したのは下記5冊で、2冊目の紹介記事。今回は『ひゃくえむ。』1巻について感想を書きます。

『ノラと雑草』2巻
真造圭伍/講談社・モーニング

『片喰と黄金』1巻
北野詠一/集英社・ヤングジャンプ

『ワールドトリガー』20巻
葦原大介/集英社・ジャンプ

『東京入星管理局』1巻
窓口基/ジーオーティー・MeDu comics

『ひゃくえむ。』1巻
魚豊/講談社・マガジンポケット

『ひゃくえむ。」めちゃくちゃ面白い。実は単行本化までにいろいろ現実世界でドラマがあったみたいなんだけど、それはまあそれとして置いておく。

スポーツ漫画というのはわりと人気があるジャンルで、漫画の多様化が進んだ結果セパタクローだったりハンドボールだったり、ルールをみんながちゃんと知らない競技だって、すでに題材にされていたりして、人気作が登場している。スポーツ漫画が描くのは、チームスポーツだったら「チームワーク」だったり「ポジション」かもしれないし、個人競技でも「複雑な戦術」だったり「努力」だったり描きようはたくさんある。マイナー競技なら「詳しいルール」を描いてもいいだろうし、部活モノなら「レギュラー争い」を描いてもいい。

一方、『ひゃくえむ。』の題材となるスポーツは100メートル走だ。100メートルを誰よりも早く走り抜ける「だけ」のシンプルな個人競技を題材に作品を描くにあたって、この漫画が選んだのは、競技の持つシンプルさに負けないくらいシンプルな大前提と問いを用意するというアイデアだ。この「大前提」と「問い」のアイデアが物語の推進力としてとてつもない効果を生んでいる。

前提「100メートル=10数秒が誰より早ければ、それだけで全てが解決する」
問い「では誰かより遅くなってしまえば、全てが失われるのではないか」

100メートル走全国1位の小学生・トガシはこの大前提に気づいていて、学校生活でもこの前提によって安定したスクールカーストを享受している。が、転校生・小宮が他の誰でもないトガシ自身のコーチングにより、彼を脅かすまでに成長することで、誰かに抜かされて全てを失うかもしれないという恐怖を味わうことになる。3秒あったはずの「敗者」とのタイム差が2秒、1秒と縮まっていくシンプルな恐怖だ。

トガシは「才能の枯渇」を自覚し始めている。小宮の脅威が常に脳裏をよぎり、「絶対に負けてはいけない」という恐怖に怯えている。ここで描かれようとしているのは「才能」と「勝者の孤独」だ。このテーマを描いた名作には松本大洋『ピンポン』が存在する。同作が群像劇として複雑ながらも見事に描き切ったこのテーマを、『ひゃくえむ。』は100メートル走というシンプルな競技を題材に、シンプルなアイデアを持ち込むことで、見事に描ききれるかもしれないと期待させられる。

また、トガシの周りに登場するキャラクターたちの描き方も非常に効果的で面白い。もっとも印象的なのはもちろん転校生・小宮だ。彼はおどおどとしていて、100メートル走中に、大きな声をかけられると驚いてしまって転倒するようなキャラクターだったが、次第にその才能を開花させていく。むちゃくちゃなフォームで身体が悲鳴をあげながらも走り抜く小宮の走りの姿は非常に不気味に描かれる。足を痛めても、骨を骨折しても前に進もうとする小宮は、トガシを襲う恐怖をまさしく具現化したような存在へと変貌していく。トガシの心のなかで恐怖感を象徴する存在へと肥大化し、夢の中で「1位はもう君だけのものじゃない」「君は君が思うほど特別じゃない」とトガシに言い放つ。おそらく自分自身との戦いにおいて、トガシは自分が生み出した小宮の影と対峙していくのだろう。