[エッセイ]田舎と都会をさ迷う
二年ほど前から田舎暮らしを始めた。
ただそうはいっても毎日田んぼで汗をかいてるわけでもないし、隣のおばあさんがいつも穫れすぎた野菜をくれるわけでもない。
仕事ではパソコンとにらめっこしているし、結局一時間ほどかけて京都市内に向かうJR嵯峨野線に揺られていることもかなり多い。
けれど実は、この生活をそこそこ気に入っている。電車に乗る時間もわりと好きだ。
田園風景、広い空、あたりを囲む山、そして渓流。
わざわざ遠くまで遊びにいかないと見られないような景色が車窓を流れていく。この時間は豊かでさえある。
しかし、この楽しい楽しい観光旅行には、ひとつだけ闘いがある。それは馬堀駅から嵯峨嵐山駅までの区間だ。
山に囲まれているということは、トンネルがある。とても長いトンネルで、出たと思ったらまた次のトンネルに入る。この区間、実は電波が通っていないのである。
ストリーミング再生している音楽は途切れ、ツイッターは読み込みをしなくなる。「またこの時間がきたか…」と一息ついたあと、思考停止したかのようになぜかネットサーフィンを始めようとする自分がいる。「……そうか、電波がないのか」。
この時間をどうやって過ごすのか。僕はいつも闘っている。豊かな自然を眺めようにも、一瞬美しい景色が見えたかと思うとまたトンネルだ。
読書をする。メモ帳に思ったことを書いてみる。財布を整理する。いろいろ試してみる。
グミみたいなのを買ってこの時間に食べることもある。お気に入りは硬いグミだ。ダウンロードした漫画を読む知恵も身に付けた。
この闘いは熾烈なものなのだけれど、この時間もそこそこ気に入っている。田舎と都会を中途半端にさ迷う僕らしい時間だなとも思っていて、実はそれほど嫌いじゃない。
僕は田舎と都会、どちらかを選びとらなかった。ちょうどよくどちらも楽しんでいる。
このテキストはちょうど自宅のある駅から書きはじめて、トンネルに入る少し前に書き終わろうとしている。目の前には田園風景がまだ広がっている。ただもうすぐ電波がなくなるので、まだアップロードはできない。
これから僕の闘いが始まる。読書をしたり、財布を整理する闘いだ。
トンネルを抜けたそのあと、このテキストはようやくネットにつながることになるだろう。そして目の前には街の景色が広がっているはずだ。