MBA派遣記録 準備編① ~きっかけ
突然ですが、僕は来年度から企業派遣型の国内大学MBAプログラムに参加することになった30歳男性です。妻と0歳の子供の3人暮らしです。
今回の記事では、僕がなぜ国内大学のMBA派遣制度に手を挙げたのか、その理由を書いていこうと思います。
1.別に意識高い系の方向けの話しではありません
僕は、そこまで意識高い系ではないし、逆に意識高い系の方が、この記事を読むと何言ってるんだと違和感を覚えるかもしれません。ただ、僕がこの記事をお届けしたいのは、漠然と将来を不安視しながら、現状維持から抜け出せないサラリーマンの皆さんや、「そもそもMBA派遣制度って何?」という層の方にお届けしたい、という想いで、お話しさせていただきます。
2.MBAプログラムに参加した原体験
僕は、国内損害保険会社に勤務していますが、全国転勤型で今まで福岡⇒京都⇒東京⇒札幌と転勤してきました。若いうちに出向も経験したし、自社の中では「優秀だ」と言われる部類だと自負していました。ただし、その出向中に、ふと自分が元居た会社の風景が強烈な「ドメスティック」さを発しているのに恐怖したのが、今回MBAプログラムに参加する原体験になっています。
3.損保産業の実態
損保会社の主な収益は自動車保険なので、損害保険会社のおよそ6割程度が自動車保険に関わる仕事をしています。ところが、人口が減り、自動車保険の売上が減っていけば、自動車保険に関わる人員は他に回されるか、コストカットされることが目に見えています。本社ではこの構造を変えるべく、自動車保険に取って代わる新しいビジネスモデルを四六時中、駆けずり回って探しています。つまり、斜陽産業というやつなんですね。
4.産業の実態と現場感覚の乖離
一方、僕のことを「優秀」だと言ってくれる、現場で育ち、現場を愛する上司や同僚たちは、そんなことに興味はありません。上司や先輩たちは、僕に対して、「君が所長になったら・・・」「君はもう少し田舎を経験した方がいいね。」などと言ってくることに、愛を感じながら、吐き気がするようになりました。
恐らくこの上司たちの言う通りにしていた先の僕は、自動車保険に依存した結果、数十年後、管理職になったとしても、使えないおじさんとして、要因整理されるか、必死に少ない管理職のポストを奪い合う、出世争いに身を投じる地獄を見るかのどちらかだったでしょう。
5.転職活動をする前に・・・
周囲の環境を一変したいのと、このままでは会社に飼いならされて一生を棒に振るだけだと思い、転職活動を始めようと考えた時に、ふと就活の時を思い出しました。
僕が国内損保会社に入った目的は、①給料の良さと、②豊富な部署を移動できるビジネスの幅広さでした。(我ながら酷い就活をしていました。)
「辞める前にこの会社でできることをしよう。この会社を使い倒してやろう。」
とそう心に決めたのです。そう思ってからは、自分が行きたい部署に白羽を立てて、それに向かって邁進するだけでした。人間不思議と、やりたい目標が明確になればなるほど、結果がでるように自然と行動するもので、今まで以上に仕事がはかどり、僕の成績は右肩上がりでした。
6.行きたい部署を決める作業
僕は行きたい部署の候補を、①海外で自社が保有するベンチャーキャピタル、②DX推進の部署、③人事部(人材育成系)の3つに絞りました。①は夢の様な話ですし、自慢じゃないですが全く英語もできません。②について、僕は管理業務をやるようになってからエクセルのVBAなどが組めるまで知識をつけていたので、ソフトウェアの類はかなり特異な意識がありました。だから、この手の部署では力を発揮する自信がありました。③について、僕は、割と後輩指導や部下の教育は熱心に取り組む方で、教育はそれなりに哲学を持っていましたし、どの部署に行っても後輩たちは力を付けながらついてきてくれるので、この分野も自信がありました。
ただし、②と③も手挙げで行く制度があるものの、ただ行ったとしても3年で現場に戻されるのがオチだと考えました。(根拠はありませんが、そういう噂を聞いていたからです。)
そこで、目についたのが、「国内MBA派遣制度」でした。
>>>>次回に続きます。
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