見出し画像

「今これをやるべきなのか?」と悶々と悩んで動けなくなった状態を解消できた3つの方法

僕はこれを「映画見れない病」と勝手に呼んでいます。

映画は2時間。
もしその映画がつまらなかったら、自分に合わなかったら、2時間を無駄にすることになる。本当に見る価値があるのか?

こう考えた結果、結局見ようという気持ちが削がれて観れなくなる状態のことです。最近の私はこの状態に陥っていました。

やるべきことは沢山ある。
やりたいことも沢山ある。
でも時間がない。
子育てが始まってから、いっそう時間が無くなった。

だから「空いた時間」というのはものすごく貴重。
その貴重な時間を「〇〇という発信活動」に費やしていいものか?
他にもっとすべきことがあるのでは?
選び間違えたら、せっかくの時間が無駄になってしまうのでは?

じゃあ、自分の発信活動の目的を見直してみよう。
何のために発信しているんだっけ?
〇〇と△△と□□と…

それは知っている。
でも、それが整理できたからといって解決できるの?

むしろその目的が自分にとって重要であればあるほど、
それ以外のことに時間を使うのに罪悪感が強くなる。
結果として病状は悪化していく。。。

その反動で何も動けなくなり、自堕落にスマホでマンガを読んだり
SNSをだらだら見たりしてしまうと、それはそれで後悔する。

こんな「0点の時間」を過ごすくらいなら、
30点でも50点でもいいから活動すれば良いのに…
と自分に対して思う。

でもそれはそれで
「スキマ時間があったら、常に頑張り続けなければ」
という、自分にとってとても息苦しい生き方だ。

じゃあいったいどうしたらいいんだ!?!?!?

・・・こんな状態でしばらくウンウンと悩んでいた僕ですが
今日ようやく、その状態から抜け出せてきたので
そのきっかけや考え方について記録します。
未来に同じように悩むであろう自分のために(笑)


1.2年前も同じことで悩んでいたと知った

発信活動のためのノートを見返していたら
2年前の元旦にも同じことを書いていました。

しかも笑えることに、その当時も
「時間が無いのが大きな課題だ。何とかせねば」
と言っていました。

2年前は、僕にまだ子供が生まれていません。
生まれた後の今と比べると、比較するのがアホらしくなるくらい
時間があります。
それなのに悩んでいた。

「あぁ、『時間がない』なんて悩みは、いつまで経っても解消しないんだな」
ということにようやく気付きました。笑

なんとかして時間を増やそう!なんて思い詰める必要はないんです。
どうせ、時間が増えても増えなくても、きっと悩むんです。

そのことがわかって、ちょっと心が軽くなりました。

2.「悩む」という行為を定期的にやりたいだけ

その2年前のノートを見てもう一つ感じたことが
「悩む行為を定期的にやりたいだけなんだな」
ということです。

実際に悩みが生じたというよりは、たぶん時限タイマー的なもので
1年とか2年経ったら定期的に
「おい、そろそろ悩む時期だぞ!」
と言ってくれるだけのことなのです。

過去にストレングスファインダーで自分の強みを探ったことがあるのですが
確か3位くらいのところに「内省」がありました。

これは「自分の内部と対話するのが好き」という特性です。

そうなんです。
僕は自分自身と話すのが好きなんです(笑)

だから「悩む」という行為自体をやりたいだけなのでしょう。
理由を付けるとすれば「心の調整のため」くらいでしょうか。

こう考えると、悩みが悶々と出てきても
「あぁ、今は悩む時期なんだな。じゃあ悩むだけ悩んで、自分の内面と対話する作業に取り組んで、心を整えよう」
みたいな考え方を持てるようになります。

別に悩みや課題が解決しなくてもいいのです←
悩むという作業をしばらくやれば良いだけなのです。

3.歴史(by コテンラジオ)を学んだ

最後の方法は、歴史からの学びです。

最近の僕は「コテンラジオ」にめちゃくちゃハマっています。
毎日何十分も聞いています。
隙あらば聞いているほどに大好きです笑

最近は「ユリウス・カエサル」と「織田信長」の回を聴いていたのですが、それらを聴き終えた後で、感じたことがあります。

  • 人は何かを成し遂げても成し遂げなくても、死ぬときはサクッと死ぬ。

  • どんな有能な人だろうと、生まれた時代、身の回りの環境の中からできることをやっていくしかない。

  • 生まれた時代が、生まれた国がちょっと違っていたら、今よりも遥かに「選択肢」なんてほとんど無かった人生の可能性がある

歴史を学べば学ぶほど、この思いが強くなりました。
偉人を知れば知るほど、虚しさというか、悟りというか、いや、生き物としてのルールみたいなものを感じるようになりました。

ぶっちゃけ、悩んでも悩まなくても、時間は進むし、死に近づくし、もしかすると簡単に寿命が尽きるかもしれないんですよね。

一方で、今の時代は、過去の偉人傑人たちが願っても得られなかった「多くの幸福」に満ち溢れています。

信長が生きた戦国時代の回を聴いてみると強く感じますが
裏切られるのは普通、
道端で切り殺されるのも普通、
ちょっと運が悪ければ死ぬのも普通
みたいな、想像絶する凄まじい時代です。

信長がすごかったというよりは、(もちろん常人ではないのですが)
その時代を生き残るにはそうせざるを得なかった感が強いです。

どんな人も、その時代で出来ることをやろうとしているだけなんですよね。

話がそれてちょっとわからなくなってきましたが
明日切り殺されることは無いし、
明日の安全安心は保証されているし、
お金を失っても即死ぬことは無いし、
選べる未来の選択肢はめちゃくちゃ多いんですよね。

極論といえば極論なのですが、
それはコテンラジオでその時代の解像度を高めるほどに感じるものなので、一度ぜひ聞いてみて下さい(宣伝みたいになってきた笑)

そしてさらに考えを進めると
こんなにも恵まれている時代に恵まれた国に生まれている状態で
「老後が不安だー!時間がないー!」
と悩んで悲観しているなんて、過去の人たちに対して失礼なんですよね。

むしろ「いやー、この時代で良かったなぁ」と感謝しつつ
日々を上機嫌に前向きに生きることこそ正しいように思います。

ということで、歴史から学んだことを整理すると

できるだけ日々を上機嫌に過ごし、目の前のことから目を背けず、(死ぬわけじゃないなら)普通に挑戦し続ける

という姿勢でありたいなと思うのです。



話がまとまったのかちょっと怪しいかもしれませんが
この3つの考え方で、悶々と悩んでいた状態からようやく抜け出すことができました。

まあどうせ、しばらくしたらまた同じように悩むんでしょうが笑
その時はこのnoteを見返して、さっさと次に行けるようにしたいと思います😊

おわり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?