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Day19:自分があまり賛成できない常識

おはようございます!heyheyです。
「書く習慣」19日目。
今日は「自分があまり賛成できない常識」というテーマで書いていきます。

35年ローンで家を買うこと

以前にも書きましたが、ぼくは新卒で入った会社も、一度転職した先の会社も、どちらも一部上場の大企業で、「安定を求めて」入社しました。

それは、当時は「潰れにくいこと」「普通に結婚して普通に家を買い、定年まで安心して働き続けること」こそ大切だと思っていたからです。

でも、1社目では激務で体調を崩し、退社。2社目は意欲を失って退社しました。

僕は、10年先ですら十分に長いし、「保証できても10年が限界」だと思っています。

どれだけ人生設計をして、就職という人生の決断をしても、自分が倒れたり、会社が倒れたり、家族が倒れたり、災害にあったりすることは「普通」です。

そこから目を背けて「35年先の自分を信じる」ことができないのです。

だから、皆が普通に行っている「35年ローンで家を買う」ということができません。

10年。欲張っても15年で返せるレベルのものでない限り、それは「浪費」を超えたもののように感じています。

10年あれば、2~3回は転職できます(笑)コロナにも見舞われるし、大地震は最低1回は遭うでしょう。それらを超えてなお、35年も安定して働き続けられるとは、思えません。

だから、どれだけ仲のいい友人が家を買おうと、親族や姉妹が家を買おうと、僕にはその決心がつかないのです。

定年まで働くこと

もう一つ、ぼくが賛成できない常識が「定年まで働くこと」です。

ぼくの父はよく働いていました。ぼくが起きるよりも早く出社し、ぼくが寝た後に帰宅し、それを定年まで勤めあげました。

本当に、本当にすごいことだと思います。そして、定年を過ぎてから世界旅行に行ったり、パソコンスキルを上げたりして輝いています。尊敬する背中です。

その一方で、ぼくにはそんなことはできないとも思っています。

せっかく生まれたこの世界で、若い方が体を動かせて人生を堪能できるはずなのに、なぜ歳をとってから、体がしおれてきてからしか自由な時間が与えられないのか。

なんか悔しいし、もったいない。

必要性、義務、常識という言葉で自分の人生を制約されたくないんです。

人生を本当に有意義に過ごしたいのであれば、やりたいことを並べて、やっていくこと。そしてその多くは、元気なうちにしかできない。具体的には40代くらいまでには。

だから、40代になったらそれなりに自由な時間を持てるようになる必要があります。

定年まで働くのが常識、と言われても賛成できません。「あなたの人生はこのように生きるのが当たり前」と言われているようなものです。


自分の望む人生にできるかどうか、正直まだ胸を張って「できる」とは言えません。でも、それに向かって行動することはできます。それ自体が「有意義な人生」だとも思います。

40歳を節目にするならば、今が大切。今が分岐点。がんばります!


今日はここまで。
いつも私的な話を読んでくださりありがとうございます。
明日は「Day20:これまでで1番の後悔」です。

では良い1日を。

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