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まめ太郎 最期の日

16年間、生活をともにした愛猫のまめ太郎が死んだ。
閏年生まれで、今年の2月29日に4回目(生まれた時を入れたら5回目)の誕生日を一緒に迎えることができて、とても嬉しかった。
まめ太郎が元気でいることに感謝した。これからもずっと一緒にいようね、と思った。
今もそう思っている。

去年の2月、まめ太郎の呼吸がいつもと明らかに違っていて、とても苦しそうだった。
病院に連れて行くと胸(肺の外側)に水が溜まっていた。それを知った時は、じわじわと涙が溢れてきて堪えてても滲んで溢れてきた。
先生の話を聞きながら、私は斜め上に顔を逸らして、溢れてきてしまう涙を堪えようと必死だったが、今度は鼻水も出てきた。
動物病院の待合室で会計待ちをしている間もずっと堪えようとするのに滲んでくる涙を必死で抑えていた。

帰宅して、ドアを開けた瞬間、私は声を出して泣いた。息をするのが困難なほど泣いた。息を吸うタイミングがわからなくなった。

それでもまめ太郎は生きた。


二週間おきに病院で胸水を抜いてもらう。
それが習慣になった。
まめ太郎はこちらの心配をよそに生きた。何も心配いらないよと、そんな感じで生きた。頼もしかった。寝てることが多かったが、食欲もあるし、元気もあった。ジャンプもできるし、トイレも問題なくできる。私はこれがずっと続いてくれればいいと思った。


通院を始めてから1年と4ヶ月が経った。
2024年6月、まめ太郎の食欲が半減した。まめ太郎は食欲が高いときと低いときの波があるので、そういう時期かなと思ったけど、ちょっとそれより食べる量が少なくて心配した。数日後に病院に行くことになっていたので、相談しようと思った。

いつものように胸水を抜いてもらうと、いつもの倍の量の胸水が溜まっていた。いつもよりだいぶ濃い血の色。赤い水。どうやら腫瘍らしきものがあるみたいだ。止血の薬を追加で出してもらった。

その病院の日の数日前くらいからまめ太郎はごはんを全く食べなくなった。水とペースト状の栄養食をシリンジに詰めて数回にわけて口に入れて与えた。まめ太郎は口を動かして飲んでくれた。噛む力はまだあった。

数日間何も食べようとしないので急遽、また動物病院を予約した。時間外だったが快く受け付けてくれた。

血液検査をした。胸水が溜まるのを遅らせるために飲んでいた利尿剤が内臓に負担をかけていて、脱水症状になっていた。胸水と脱水のバランスが難しい問題はずっと抱えていた。でもまめ太郎の表情はいつもと変わらない表情をしていた。


6月14日 金曜日
最高気温が30度を越える夏日だった。まめ太郎はぐったりとした感じで、ひんやりした玄関の入り口にずっと寝ていた。シリンジで水とペースト状のご飯を与えると大きな声で鳴いて嫌がる様子を見せた。それでも何も食べないと死んじゃうと思ってなんとか与えた。体を起こすために抱えると、片手でひょいと持ち上がる。痩せて軽くなった。今になって思うと、まめ太郎は苦しくて食べるどころではなかったんだろう。つらかったよね。ごめんね。
その夜、床に伸びるように寝ていた。
息苦しそうな寝息が聞こえていた。


6月15日 土曜日
とても良い天気だった。仕事は休み。まめ太郎は床で伸びていた。水と薬を与えた。
しばらくしてまめ太郎がミャーと数回鳴きながら悶え始めた。歩こうとするも足がうまく動かず、もつれて、ぐにゃぐにゃに動いていた。私は駆け寄ってまめ太郎の名前を何度も呼んだ。頭と顎と体を撫でてあげた。
そしてまめ太郎は息を引き取った。体はまだ温かく、柔らかく、目は開いていて、いつものまめ太郎の表情だった。どのタイミングで死んだのかわからなかった。まだ生きてるよね。もうちょっと生きれるよね。眼球を指で触ってみた。まばたきをしないので、死んだのかな、と思った。でもまだ死んでないのかな、とも思った。
そうやってまめ太郎は死んだ。

窓から差し込む光が優しく広がっていた。
日向ぼっこが好きだったよね。私はまめ太郎を窓辺に寝かせた。白くハイライトが飛んで美しいと思った。穏やかだった。とても綺麗だと思った。
私は泣きながら、まめ太郎の名前を呼び、撫でてあげた。まだ柔らかかった。とても可愛かった。ずっとそばにいたかった。

3歳の息子と一緒に、まめ太郎にお供えする花を買いに行った。外は雲ひとつない青空だった。
ちょうど良いお供えのお花があった。
私は息子に伝えた。
まめちゃんがね、動かなくなっちゃったの、まめちゃんがね、死んじゃったの、だからね、まめちゃんとお別れしなきゃいけないの

息子は「まめちゃんどこいったの?」と聞く

まめちゃんは天国に行ったんだよ
天国ってどこ?
お空の上に行ったの
まめちゃん何になったの?
まめちゃんは虹になったんだよ
なにしてるの?
お空からみんなのことを見守っているの

本当に雲ひとつない快晴だった。
花屋の店員さんが息子にうまい棒をくれた。サラミ味だった。息子はまだサラミの味を知らなかった。手を繋いで帰った。

まめ太郎に花を添えた。
まめ太郎は固くなっていた。冷たくなっていた。
まめ太郎、なんで固くなっちゃうの、なんで冷たくなっちゃうの、涙が止まらなかった。

私はまた、息子に伝えた。
死んじゃったらね、冷たくなって固くなったゃうんだよ
ほら、触ってごらん、固いでしょ

私は息子にまめ太郎のことを覚えていてほしかった。少しでもまめ太郎との思い出を残してほしかった。息子はまだ、死というものを理解していない。まめ太郎とのお別れを経験して、少しずつ、なんとなく、死を理解していってもらえたらいいと思う。


花を添えたまめ太郎は遺体とは思えなかった。とても綺麗で写真を撮った。

お昼ご飯を食べて、火葬の予約をした。
明日にはまめ太郎は灰になる。
このまま剥製にしたかった。寂しい。


夜になった。まめ太郎はずっと寝ている。
まだこの家にいてくれている。
まだまめ太郎が家にいてくれているという安心感がとても大きかった。そしてとても寂しかった。本当に本当に、寂しい。
今夜が一緒に寝れる最後の日。
まめ太郎の頭を撫でた。
「行かないで」
と言って、私は泣いた。

私はまた、息の吸い方を忘れるほどに、声を出して泣いていた。

あんなに晴れていたのに、外はしっとりと優しく雨が降っていた。


6月16日 日曜日
昨夜の雨はすっかりあがっていた。
お別れの準備をしなきゃいけないね。

もうすぐまめ太郎がこの家を出る。
お皿に入れたお水を新しいのに換えてあげた。もうすぐまめ太郎を見れなくなる。触れなくなる。撫でてあげれなくなる。私はハサミでまめ太郎の自慢の長い毛を少し切った。まめ太郎の体をちょっとでも残したかった。離れたくなかった。

古本屋をやっている親友から教えてもらったジョン・フェイヒィのSongという曲をかけた。とても良い曲だ。

生活をともにしてきた家族の死に立ち会うことは何度かあったが、祖父が死んだときも、父が死んだときも、祖母が死んだときも、そのときは私は実家を出ていたので、心境の変化はあれど、そのときの自分の家の中の環境が変わるということはなかった。
今回、まめ太郎の死は、私にとって、初めての同じ家庭内での同じ生活環境での死だった。
そして死の瞬間に立ち会ったのも、実は初めてだった。

16歳という、猫にしたら超高齢の老猫なんだけど、見た目はそんなに変わらないし、死んだ後も、見た目の変化は無く、それなのに死んだら今まで柔らかかった体がどんどん固くなって動かなくなるし、温かかったら体も冷たくなってくる。不思議なもんだよね。生きてるって不思議なもんだ。

あれだけ軽くなったまめ太郎の体が、死んで冷たくなった後は、ずっしりと重かった。

さあ、もう家を出なくては。


斎場に着くと、雲が晴れて気持ちの良い天気になっていた。
昨日からの天気の流れが、まるで、まめ太郎がシナリオを用意してくれたみたいで、私の心に寄り添ってくれた。
晴れやかな気分になれた。

そういえば、息子が生まれてからまめ太郎も一緒に家族みんなでお出かけするのはこれが初めてだった。こんな良い天気にみんなでお外に出れてよかったね。これが最初で最後のお出かけだね。

棺にはお花と、まめ太郎が好きだったお饅頭を入れた。
まめ太郎は甘いものが大好きだった。特にあんこは大好きだった。おやつで与えていた訳ではないが、私が和菓子を食べていると、飛び付いてきて無理矢理食べようとしてくる。ミャーミャー鳴いて訴えるので、ちょこっとだけ与えると、ベロベロと一瞬で舐めてしまう。昔、冷蔵庫の上に置いておいた蒸しパンを食べたこともあった。帰宅すると、蒸しパンのビニール包装を噛みちぎって、中の蒸しパンを食べていたこともあった。冷蔵庫の上くらい簡単に飛び乗ってしまう。

最後のお別れだって。
もう、これでまめ太郎と会えなくなるのか。
あっという間だね。あっという間だった。
棺を乗せた台が地下に降りて行く。
バイバイまめ太郎。ありがとう。

外は気持ち良い空だった。
まめ太郎はきっと気持ちよく空にのぼって行けたと思う。

なんか、あっという間だったね。

しばらくして、まめ太郎は白い骨になっていた。
とても立派な骨だった。

喉仏の骨は合掌をした仏様の形をしているという説明を聞いたのは何度目だろうか。
祖父が亡くなったときも、祖母がなくなったときも、そして父が亡くなったときも、喉仏の骨を見たとき、仏様の形なのかどうかよくわからなかった。

でも、まめ太郎の喉仏の骨は、本当に合掌をした仏様の形をしていた。はっきりと仏様の姿がわかった。本当に仏様のようだった。


骨壷を抱いて外に出た。
帰りはタクシーじゃなくて、せっかくだから、すぐ側にある河川敷の土手を登ってみようと思い。骨になったまめ太郎と一緒にみんなで土手を登った。
すると、そこには気持ち良い空と緑のパノラマが広がっていた。とても気持ちの良い光景だった。胸の苦しみを解き放ってくれるようだった。河川敷をみんなで歩いた。
全部、まめ太郎が導いてくれたものだった。
本当にそう思う。

なんか、ひとつの時代が終わったような感じがした。

思えば、最後まで手をかけさせないようにと、配慮してくれたような最期だった。
まめ太郎の最後の瞬間に寄り添うことができてよかった。ひとりで寂しく死んじゃわなくてよかった。仕事が休みの日に合わせてくれたみたいだった。
でもね、もっと、もう少しだけでも、手をかけさせてくれてもよかったんだよ。
でも、苦しかったんだよね。
よく頑張ってくれたね。
本当にありがとう。


家に帰って骨壷を部屋に置いた。
もう、トイレのシートを交換したり、ごはんをあげたり、耳掃除をしたり、しなくていいのか。そっか。なんか、寂しいね。

お皿のお水を新しくしてあげた。
家の中の空気が違うものに入れ替わったみたいで、ぽっかり穴が空いたみたいだった。
寂しかったので音楽をかけた。

でも、まめ太郎はここにいてくれている。
だから、もう何も心配することはないね。

もう泣くこともないよ。

それでも、

胸の奥に魚の骨がつっかえているような、そんな痛みが消えないで今でも続いている。

でも、骨壷が部屋にあることが、大きな安心感をもたらしてくれた。

妻が花屋で買ってくれた青い紫陽花を飾った。とてもよく似合っていた。

仏壇にお水やお米を毎日お供えする習慣が、なぜあるのか、今でははっきりとわかる。何かがそうさせている。せざるを得ない気持ちになるんだと。

残された者は心が迷子になってしまう。
逝った者はもうここにはいない。けれどここに感じている。ここにいてくれている。そう感じる。そうでなければ心が迷子になってしまう。ずっと一緒にいる。ずっと一緒に生きている。これからもずっと。

まめ太郎、ありがとう。
これからも一緒に生きよう。

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