新元号「令和」について思うこと
新元号について、前の「新元号の決め方についての疑問?!」で書いたけれど、初めて「令和」と聞いたとき、まずこの漢字の字面に違和感を覚えてしまった。
なぜかというと、「令」という字は、本来①「命ずる」、「いいつける」
②「法令などを世の中に広く知らせる」
③「みことのり(天皇の命令)」、「君主(国を治める人)の命令」
④「のり(法律、規範、おきて)」(例:律令)
⑤「布告書(広く国民に知らせる書類)」
⑥「いましめ(前もって注意する事)」、「教訓(教え)」
⑦「おさ」、「長官」(例:県令)
会意文字です(亼+卩)。「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の
象形から、人がひざまずいて神意を聞く事を意味し、そこから、
「命ずる・いいつける」を意味する「令」という漢字が成り立ちました。
つまり、イメージとして、命令して、上意下達で言い聞かせるというなんか強制されるイメージが強いのです。
自由を愛する我が身としては、とても窮屈なイメージを持ってしまいます。
「和」に関しては、平和、ピースと明るいイメージを持ちます。
また、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉です。
形声文字です。「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」象形
(「稲」の意味だが、ここでは、「會(か)に通じ、「会う」の意味)から、
人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が
成り立ちました。
元々中国の『礼記』には「礼は之和を以て貴しと為す」とある。
おだやか。のどか。ゆるやか。あたたか。はげしくない。
互いに気が合う。なかよくする。争わない等「和」はいい言葉なのですが、「令」と一緒になると、命令に背かない、いいつけに対して争わないということになってしまい、熟語としては嫌な感じがしてしまう。
熟語としての「令和」を、現内閣という強大な権力者が決めてしまった事になり、なんか自由を奪われてしまった様な印象を受けるのは私だけでしょうか?!
またそれから、Noriko Ikehira@chipingjiziさん(中国語と中国思想を教えられているという方)という方がTwitterでつぶやかれていたのですが、
後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人である張 衡(ちょう こう、78年 - 139年)が読まれた、
「仲春令月、時和し気清し」(仲春のよき月に、時は調和し気は清らかに澄んでいる)という歌が、今回政府より発表された、新元号の出典とされる万葉集、梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序に書かれた
「天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」にとてもよく似ているというご指摘がありました。
確かによく似ていますね。
山上憶良とも作者不明ともいわれているようですが、また、パクリではないと思いますが、そっくりといえば、クリソツですね。
張 衡は、1世紀~2世紀の人、万葉集の山上憶良は、6世紀~7世紀の人。4、5百年前の漢詩を少々アレンジするということは、盗作ということは無いのだろうか?その辺は素人の私にはわからないけど、よく似ているなということは確か!!
それから、万葉集というのは万葉仮名といわれるように、かな文字であり、漢字、漢文ではない。
つまり、今回の元号の出典が万葉集ということであれば、今までの伝統を壊してしまったという事になり、保守政権の意味合いとして微妙な感じを抱いてしまう。
それって保守?
それがOKならば、清少納言でも、紫式部でも、紀貫之でも、鴨野長明でも、井原西鶴でも、樋口一葉でも、永井荷風でも、三島由紀夫でも、村上春樹でも、今後の出典はいいかってなっちゃうよね。
本当は和暦いいんだけど・・・。
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