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AI時代への一意見

生産性向上や効率化、会社員時代に大いに疑問を持っていたビジネス用語でした。働き方改革なんかもこの文脈だと思います。

これって経営者の課題ではないでしょうか。サラリーマンは時間捧げることによって報酬を得ているのであって、生産性向上をすればお金が減って時間が手元に残るというシンプルな話です。それによるメリットもなければデメリットもない。時間が欲しいのかお金が欲しいのかというのは価値観でしかないのだから、サラリーマンそれぞれによって受け取り方は異なる。僕はたまたま時間に重きおくタイプだったので、思いっきり効率を意識して仕事をしていました。

経営者からすれば、労働者の時間当たりの成果が高まることはメリットでしかないわけです。だから、生産性向上も効率化も働き方改革も社員に要請するのは的外れもいいところだと常々感じておりました。

さて、経営の論理からして労働生産性を高めることは自然なわけですが、人間のできることなんて本当に限られていて、無駄を省いたり、取捨選択をして優先順位を決めた仕事をすることでした。

これらは質と量というトレードオフにより生産性の高い仕事は質を下げていく方向に働きます。高い技術と言われる日本製品にもトラブルが頻発しているも関係しているようにも感じます。

基本的に劇的に生産性の向上が可能なのは人間の仕事が技術によって代替された時でしょう。AIなどが典型ですね。

AIが確実に人間の仕事を肩代わりする時代は来ると思います。僕のやっていた設計の仕事などは無数にある過去案件の深層学習によって容易に達成できると確信がありました。

AIが到来した未来はユートピアとディストピアのどちらでしょうか。

会社の中で10年以上の先輩の昔話なんかをしていると、昔はパソコンがなく手書きで行なっていたとか、メールがなかったとか、CAD(設計図面を書くソフト)が会社に数台しかなくてみんなで取り合いをしていたとか。(この時代は事務処理能力が高い人が優秀であると扱われていたもの納得)

その頃に比べて僕らの生産性は劇的に向上しているはずです。情報の共有、検索のスピード、PCの処理性能、手書きのものがPCでできるようになっただけでもえらい違いです。

ならばなぜ、僕らの給与は当時の数倍、数十倍、数百倍になっていないのだろうか。それどころかバブル期の低効率な仕事をしていた時代の方が受け取れる報酬は高かったのです。就労時間もさしては減ってないもの現実です。不思議な話だと思ってしまいます。

つまり生産性を向上させたところで僕らの給与は増える訳ではないし、自由時間が増えるわけでもない、ただ労働の価値が下がっただけです。

さてさてそうならば、AI時代のユートピアは期待できるのだろうか。

マネタリーベースが増えて株高になったとて僕たちの生活が豊かになるものではないように、AIが労働を代替したときに僕らの生活が豊かになるように還元されるであろうか。

僕は会社員をやめる時、リスクが高いと言われました。それは重々承知しています。だからと言ってサラリーマンが安泰であると、今の水準の給与が約束されることが安泰であると言えるであろうか。社会のリスクが高まっていることに気がつけば、相対的にリスクは低減しているし、逆転しているとも考えられます。

僕はロボットと競争するのはやめようと思い、ロボットの苦手な競技への転身した感じです。

もちろんこの分野にも効率化の流れはあります。PC制御による焙煎機だってあります。エスプレッソに至っても人の影響が小さくなるように機械による代替が進んでいます。ロボットアームがドリップするお店もあります。

いかにそこに逆らっていけるのかが勝負です。低効率、低生産性から高付加価値なものを生み出すことを実践していきたい。そこに豊かさを見出したい。そう思います。

もうその道しかないのでは?

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