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茜色に焼かれる

[あらすじ]
1組の母と息子がいる。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母子。母の名前は田中良子。彼女は昔演劇に傾倒しており、お芝居が上手だ。中学生の息子・純平をひとりで育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。経営していたカフェはコロナ禍で破綻。花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。数年振りに会った同級生にはふられた。社会的弱者──それがなんだというのだ。そう、この全てが良子の人生を熱くしていくのだから──。はたして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは?

『茜色に焼かれる』
[2021年/日本/シネマスコープ/144分]R-15+
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏
監督・脚本・編集:石井裕也
主題歌:「ハートビート」/ GOING UNDER GROUND(ビクターエンタテインメント)
配給:フィルムランド、朝日新聞社、スターサンズ
©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ

上田映劇HPより


少し前のことになりますが石井裕也監督の「茜色に焼かれる」を観ました。(こちらの作品で重澤珈琲にてオープンダイアローグを開催し、映画の感想やモヤモヤも共有しました。)

作品内で主人公家族や友人に降りかかる理不尽は実際にこの世界に起こっているであることが想像できる。しかし、現実においても僕は映画館で見るようにただの傍観者に過ぎないことが、なんとも言えない感情させたれました。

のしかかる社会の理不尽に対して母 良子は「まぁ頑張っていきましょう」と軽く流すセリフが非常に印象的です。

僕は相対的に恵まれた環境で生まれ育ったと思っています。それは僕が選択して手にした結果などではなく、ただそういう環境があり、そこにぼくが居ただけです。それと同じように理不尽も、何かの選択の失敗により降りかかるのではなく、ただそこに存在し、たまたま降りかかるのだろう。

世界に宗教があることや神がいる理由も関係していると思うし、映画の中にもセリフとして出てきます。

この映画の中ではただ淡々と理不尽の中を生きているような印象です、「まぁ頑張っていきましょう」なんて言葉で理由なく出来事を受け入れる姿は、ある種の強さとも感じられた。

映画の中でその強さ所以は語られていると思いますので観ていただきたいと思いますが

僕らの生きる社会をマクロに見れば闇が溢れている。コロナ、五輪を通じての政治を見ていても明らかなように社会は本当に腐っていて、その救いようの無さには絶望を感じてしまいます。一方で、世界をミクロに見てみると、小さな光で溢れています。友人関係、家族関係のその間に愛や希望や美しさが溢れていて涙が出そうになります。僕はそうした小さな光に支えられて生きているのだと強く思いました。

世界社会を俯瞰して見ながら、”軽さ”をもって捉えることで無力感と絶望に距離を取ることができます。そして、より小さなものを守るための考えを巡らせたいと思います。

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