見出し画像

俺のX 2024年5月①

5/1

電車で移動中、本を読んでいる乗客がいて、読んでる本の表紙が目に入ってあっ俺も読んだことあるやつだってなったので、なんか妙に嬉しくて声をかけたくなった。かけなかったけど。

「それ読んだことあるんですよ」とか声をかけられたら、自分だったらどう思うだろうか。

うーん。だいぶグレーだ。話しかけてきた人の風貌による気がする。一見してヤバそうだったら普通に怖いものね。

そういうのもルッキズムとか言われるのかな。見た目で人を判断するなとか。えー。情緒の話をしているところなのに無粋なゲンロンを挟むんじゃない!(何?)

あっ。このマガジンの記事は「もしX(旧Twitter)にポストするなら」をコンセプトに書き溜めたメモ・テキスト約2週間分をまとめたものです。

記事のアタマだし、たまにはこういうこと↑も述べておかねばならない。ありがとうございます。

昨日4月30日に「俺のX 2024年4月③」をアップしました。今日から書き溜める2週間分が、5月13日あたりにnote記事としてまとめられる予定です。これを書いている今この瞬間は「予定」としか言えないけど。

なんかそれこそ「マガジン」的というか。印刷物的・雑誌的なタイムラグがあるのがなんかちょっと面白いかもしれない、みたいなことをこの投稿を始めるときに思ったんですけど。

自分でまとめていても、ほんの2週間前のことなのに「こんなことあったな」となって世界のスピードに驚かされているし、2週間前に起こっていた個人的な諸問題も落ち着いてたり逆にさらに悪化してたりしてて。悪化し過ぎてもうカジュアルに扱えない、みたいなのもあるけどそれはそれでまた逆に笑えるし。こういうのでいい。

前回の記事、またラストめちゃくちゃ取っ散らかった感じになってますね。ドラマの『ブラッシュアップライフ』をイッキ見している最中のテキストですね。

要するに「SF設定ぶん殴られ」を心地よく捉えている自称SFファンのほうが普通にヤバいのよねっていう話だったかと。たしかそう。そういう話をしたかった。たぶん。SF諸先輩方には足元にも及ばないライト層ですけれども。

ドラマ、僕はとても面白かったんですよ。以下、唐突にブラッシュアップライフの感想を述べますね。ご視聴予定の方は皆さまお気をつけて。

でさ。

ループものって起承転結の「承」あたり冗長っていうか、「あーそういうルールでループすんのねはいはい」とか「あーそういうところで齟齬があって伏線になってくのね」とか、なりがちだと思うんですけど(なりますよね?)。

本作はとにかく主人公を含めキャラクターが地に足をつけてくれてるからセリフのやりとりが面白くて、しんどくならなくて。何ならもうすでに1話の時点で「だべり」をメインに据えて成立させてたのがすごいなーってなりましてね。

まあ終盤の浅野忠信の外しはさすがに少し「む」と気になった。しっかりもうひと山くるか、というところだったので、なんていうか作風には合ってるし「らしい」っちゃらしいから、いいのか、とはなったけど。それはそれで。
メインキャスト含めご出演者の皆さんしっかりお上手で、最後まで楽しかったね。

で。SF系に限らず物語だと何でもそうなんだろうけど、観賞後の「なんであそこでこうしなかったの?」というご意見ね。あるよね。自分は気が付かなかった、あるいは気付いていたけどスルーしてた、気にならなかった、みたいな設定に起因するあれこれ。「こういう設定あるなら、こうなるんじゃないの?」みたいの。

いやいや。そのへんはね、もうSFを超えて情緒の話でいいじゃないすか。それより大事なことって、あるじゃないですか。それを突き詰めてもさ、無粋じゃないですか。

思う。思うんだけど、いやー。言えないよね。言えない。やっぱごもっともなのよ。

「は?」ってなるのがやっぱり普通っていうか。「細かいところが気になって話が入ってこなかった」っていうこれね。これでいいのよ。そうそう。おかしいよね。そうだよね。わかる。

えー。どうかなー。なんか、まあ。どうかなあ。そうかなあ。みたいに、めちゃくちゃモヤモヤするんですけど、そういうのって自分から出てこない視点・論点でもあるからさ。ありがたいのかもしれないなって。ありがとうね。

5/2

昨日『オッペンハイマー』ようやく観賞してまいりましてね。映画の日ということもあってか、俺の観た上映回は完売してて、めちゃくちゃ客が入るタイプの映画じゃないと思ってたからなんか嬉しかったです。なんだそれは。なんでお前が喜ぶんだ。何様だお前は。

だって戦争もの、原爆ものですよ。なんか「観なきゃ」の使命感のほうが強くて観る作品みたいな気がしませんか。俺だけかな。

なんていうか、友達で集まってジャンクフードをバカ食いするみたいなタイプの映画じゃないのはすぐわかるじゃないすか。身体にすごい良いけどそんなに美味しくないとわかった上で食べる、そんな感じで観る映画というか。
そういう映画が満員御礼っていうことに、なんかこう「みんなすごいな」となって嬉しかったっていう。上映時間が3時間もあるしさ。

正直ね、キャラクターっていうか著名なはずの科学者の皆さんのことをよく知らないので、アインシュタインはさすがに大丈夫だったけど、ハイゼンベルクでもうぎりぎり、何ならオッペンハイマーも「原爆の人」くらいの認識で。このへんをもうちょっと予習してからでもよかったな。時系列シャッフルをだいぶ序盤から仕掛けてくるし。

そんで感想なんすけど。なんかね。「考えさせられる映画だった」というアホみたいなものしか出てこない。思うところはたくさんあるけど、うまいこと言語化できないですね。

個人的にね、祖父が長崎の被爆者ということとか、平和教育をけっこうみっちり受けてきたこととか、地元の新聞社勤務時代に感じた「被爆地」としてのアイデンティティみたいなこととか。この映画そのものについてではないところ、そもそもの「原爆」というキーワードに対して複層的な感慨がありましてね。

被爆者の立場が政治的なものに転化された後の世代ですし「原子力」にほとんどアレルギーに近い反応をせざるを得ない勢力があるのはまあわかるし、とはいえエネルギー問題どうすんだ、みたいなところでフガフガしちゃうのにはずーっと違和感もある。

そういうの「考えなきゃいけない」ってうっすら先延ばしにした感じのところに、もっと別角度からの「考えなきゃいけない」をぶつけられてきたのでブワー膨れ上がって「考えさせられる映画だった」の後に続く言葉が出てこないのでしょうね。頭わるいな。

あと頭わるいなりにもういっこ、なんかこう、ヒーローって「個人」じゃないすか。一人の力でたくさんの敵をばったばったとなぎ倒す、みたいなカッコよさへの憧れっていうの。あるでしょう。

でもその個人=ヒーローっていうのは、社会とかそういうものによっていかようにも規範というか考え方って変わるよねーっていう。そういうテーマって既にけっこう物語化・映像化されてきましたよね。本作でいうと、主人公は終戦のきっかけを作ったヒーローのはずなのに大量殺人の罪悪感に苛まれたり赤狩りの疑いをかけられたりとかね。

そういう「ヒーローでありながらも人間なのだ」という主人公の葛藤とか、まあみんな好きでしょう。わかりやすい。共感もできる。

ただそのへん、この映画ってもう一歩踏み込んできたなって思って。なんていうかこれまでみたいな「ヒーローも悩むんだ」「ヒーローも人間なんだ」「人間みんな誰かにとってはヒーローさ」みたいなところで終わらなかったなって思うんすよ。

逆にもう徹底的に「ヒーローという概念はない」っていう、そういうぶん殴り方をしてきてませんでした? 何なら「個」の強さっていうものに対しての諦観すら感じたんすけど。

5/6

あー連休おわる。

上↑の続きね。ちょっと時間が経ったから微妙に思いが変わった部分もあるんですけども「個」とヒーローについてのこと。

そもそもね、みんなヒロイックなものが好きすぎるから、どうあってもそういう存在を求めてしまう、みたいなところへの違和感っていうのが前からあって。個人的にね。ヒーローものは好きだしMCUも観に行くけど。なんか。

たとえば大谷さんとかさ。最近だともう完全にヒーローじゃないですか。一平ちゃんの件も含めてなんかこう野球におけるヒーロー像を完全に作り上げている、作り上げられてもいる。そういうの、みんなが好きだから。いや好きとかじゃないな。もっと強い。みんなが必要としているから。必要とされているから。

そういうのって、宗教的・狂信的なところにも足を踏み入れちゃう危うい部分というか、ぎりぎりで成立してますよね。カリスマ。人を惹きつける力。今だと陰謀論とかもそうかもね。心地よくなれる物語っていうか。大昔からたぶんそういうのはあってさ。

この映画だと、主人公はその力、なんていうかヒーロー力(ぢから)みたいなものを生まれつきじゃなく社会的かつ人工的に得させられたというか、そういう人物として描かれてたように思うんですよ。

彼はあくまで自分の理論とかさ、科学的・化学的な分野での可能性を研究の先に見ていて、そこが彼にとっての原動力で。それを国家とか別のそういうものによって「使われた」っていうかたちですよね。映画ではね。

ヒーローってそうやって周囲というか社会が作り出すものだったんだ。そういうことが、良い悪いじゃなく、あったんだ。あるんだ。

そんな観点で映画を観ながら「個」としてのヒーローを考えると、そんなヒーローなんて偶像でしかなくて、当たり前だけどやっぱり現実にはいないんだっていうのを突き付けられたような感じがしました。わかりやすく心地よい物語なんて、本当はないんだ、みたいな。極論もう何の期待もできなくなる感じすらあるよなって。そのへん今の現実の諸問題としっかりくっつけて映画にしてたと感じたんですけど。どうかな。どうだろう。

神の不在を描くことに近いというか、キリスト教のことをよく知らない日本人の感覚でも、それってなんかけっこうタブーな方向の観点じゃないのかなって、そういう意味では痛快な部分もあった。じゃあ、つってその先のことまでは作品中では言及されてなかったけど。されてなかったですよね? されてたのかな。俺が気付かなかっただけなのかも。

ただ、それでも我々には、ヒーローや物語はやはり必要であって……うわーやっぱ考える。考えさせられる。考えさせられる作品だった。

そんな感じでした。いろんなことが政治になってきてるようにも思う昨今において、ここまで作品として踏み込めるんなら、もっといろんなこと言っていいし言わせていいし聞いていいし聞かなくてもいいな、という気持ちになりました。大名作だと思う。ノーランありがとうね。

5/8

なんかいっぱい書いたな。まあそのくらいインパクトのある映画だったっていうことでひとつ。

GW中に『Planet of Lana』をクリアしました。トータル4時間くらいかな。謎解き難易度はこういう系のゲームやったことある人なら、まあちょっと考えればわかるでしょうというくらいでした。俺がクリアできるくらいだから完全に初心者でもいけるはず。

とにかく居心地のよいゲームだった。楽しかったです。画はきれいだし音楽も合ってたし、何よりフィールドの行ったり来たりがなくて、ずーっとこっちの方向に行けばいいのねっていうのが本当によかった。

なんか俺はもう単純に「進む」っていうので充分なんだなって思った。ゲームの中で何やらこねくり回すのがやっぱり性に合わないんだな。そういうので楽しかったのって何かあったかな。ないよなあ。思い出したらまたここに書こう。

iPadのCM、炎上する前にインスタか何かで流れてきて見たんすけど、えらい大味なCMだなーくらいは思った。

まあ海外企業のやることだからね。そもそもプレス機で圧壊させるっていうネタが商品にハマってなかった感じですよね。それが面白い感じでもなかったし、若干ネガティブな感情にもなった。もったいないなー、みたいな。

5/9

Netflix版の『シティハンター』も観ましたよ。これは早く観たかった。

また唐突に語りますね。みんな観た?

原作ぼんやり勢のほうですけど、それでも構成要素というか、キャラクターとか神谷明とか新宿とかハンマーとか闇に蠢く巨悪とか、そういう記憶しているイメージとばっちりハマったよい実写化映画でした。楽しかったね~。
なんかこう、昨日にかけてガーッと『オッペンハイマー』の感想で、ヒーローの不在がどうのってなんか言ってましたけども。

シティハンターはもうね、ぐうの音も出ないくらいヒーローでしたね。冴羽獠っていうか鈴木亮平カッコよすぎ。いや全然めちゃくちゃヒーロー存在してるじゃんってなった。なったな~。

ただなんていうか、カッコいいけど彼一人で成立していない感じが今っぽかった。裏社会のスイーパーっていう設定っていうこともあるけど、新宿っていう街に溶け込んでいる描写っていうか、あくまでその街の一人でしかなくて。何ならモブキャラとかも街の構成要素なんだっていう感じで。そういう描き方にこだわってたように思います。たいへん好ましいかったです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?